風が、耳もとで唸る。
疾走する速度を更に速めた馬に、身体が後ろに倒れかけて慌てて目の前の腰に回した両腕に力を込める。
「しっかり掴まっていろよ!!」
「はい!」
答えて、しがみついたまま上を見れば、短めの明るい金色の髪が風に踊っている。

これが、今の私の仕える”君主”。
江東の小覇王・孫策。
一体、誰が想像しただろう。
普通に会社勤めをしていた、その三日後に。
まさか、自分が三国志の世界にトリップしているなんて。


序章・『始動』


「大丈夫、ですか?」
ぱっちりした黒い目の女の子が、心配そうに覗き込んでくる。
あ、かわいい子。
あれ?何で私、寝てるんだろう?
この身体の下に敷いてあるのって・・・筵?
身体の上には、薄い上掛けがかかっている。
寝かされていたのは、土間のある農家風の造りの部屋・・・というより一間しかない家だ。
何だか、身体がだるい気がする。

「あの?」
「ごめん、ちょっと待って。」

こめかみに手をやって考え込んだ私を気づかってか、声をかけてくる女の子を手で制して。

ええっと。
筋道だてて考えてみよう。
私は、会社からの帰り道だったのよね。

その日は飲んでませんでした。
いや、飲んでたって帰巣本能が強いのか、どんなにぐてんぐでんになろうと何があろうとも自宅には辿り着くという人間でした。
で、突然立ちくらみみたいに、足元がぐんにゃりして目の前が暗くなったのは覚えてます・・・。
でも、それはいつもの通勤路の公園付近だった・・・はず。

「ど、どうかしましたか?」
「うん、ちょっと待って。」

空気が違う、というのかな。
その時、何となく嫌な予感はしたんだよね。
とりあえず、起き上がって揃えておいてくれたらしい靴をはいて、土間から戸をがらがらっと開けて外へ・・・。

うそぉ?!
いやいやいや。
ありえない!って何?何?これ?
素人ドッキリとか?
昔、あったんだよね、普通の通行人に悪戯を仕掛けて、その反応をカメラで撮影してスタジオの連中が笑う、って悪趣味な番組が。それか?最近テレビあんまり観ないからわからんけど。
ああ、私はあんまり感情表に出さないし、リアクション薄いからつまんないよー。
もっと他の人を探してほしいわ。

そう思いたくなるのも、尤もな風景がそこには広がっていた。
いや、あの、農村・・だね。
さっきの女の子にも感じた違和感。
それは、服装。
何か、袷のある着物風な感じの・・・。
それから、外に広がる風景。
なんていうのか、遠くに霞んで見えるのは山・・・だよね。
断言してもいいけど、日本にこんな形の山脈ありません・・・。
ついでに、電柱が一本もない、ドッキリだったらそれでもどこかで発電機が、と思って見回してもそれもなし。
発電機があったら稼動音でわかるけど、そんな音もせず、どこからか、コケコッコと鶏の声が・・・うん、平和な農村だ。

思わず、戸口に立ったまま、呆然としてしまった私に、村人らしき人が声をかけてくる。
「おや?具合はよくなったのかい?」
「あ、ええ。おかげさまで。」

なんて、普段通りにっこり愛想よく答えてる場合じゃないわ!
戸をぴしゃっと閉めて。
よっぽど私の形相がすごかったのか、びっくりしている女の子に向き直る。

と、いうわけで。

「すみません、あなたが介抱してくれたんですよね?ええと・・・」
「梅花です。はい、村の外で倒れていたので。」
「そうでしたか。それはお手数おかけいたしました。あ、申し遅れました。私は、です。」
「いいえ。もう大丈夫ですか?」
「はい、ありがとう。・・・で、ここはどこ・・・いえ、何て国でしょう?」

”梅花”?なんだか、随分中華風なお名前・・・。
「ここ、ですか?徐州で、今は魏、です。この村から少し行ったところに砦が・・・え?あの、大丈夫ですか?!」

ギ?いや、どこそれ?魏・・・ってああ、三国志にそんな名前の国がありました?・・・いやいやいや、ありえないから!

「おやすみなさい。」
「え?あの!?」

ドッキリじゃないなら、これは夢だ、夢。
とりあえず、眠って目が覚めたらきっとそこは現実に戻っているはずだ。
うん。

・・・ところが、現実はそうは甘くなかったのでした。
重い目蓋をあけると、そこは昨日と同じ農家でしたとさ・・・。
どういうわけか、身体がすごくだるい。
これは、あの感じに似てる。
どこかに旅行すると、その土地に馴染むのに一日はかかるその症状に。
思わず、村やその周辺も歩き回っちゃったさ。
丘陵を2つほど越えたところにあるっていう砦も、村の人に近道教わって遠目に見て来た。
だけど、どうして言葉が通じるんだかそれは不思議。
ためしに、村の長老に普通に文章書いてもらったら、それは白文でした・・・。
・・・結論。
ここ、古代中国だ。
しかもどうやら三国志の時代っぽい。
・・・どうすんだよー、私、一昨日まで平凡なリーマンだったんですよ?
そんな、生きるか死ぬかの世界で生き抜いていく自信ありません・・・。

「おはよう、。熱は下がったみたいね。よかった。」
「おはよう、梅花。ごめんね、何か手伝えることあったら言って。」
「じゃあ、ちょっと薪を持ってきてくれる?煮炊き用のが足りなくなっちゃったけど、今、手が離せなくて。」
「わかった。」

あれから、身体がだるいのをおして村やその辺りを歩き回ったせいか丸一日、熱にうなされた。
その一日でかなり梅花とは打ち解けた。
どうやら、私は十代後半になったばかりの梅花に同じくらいの年齢と思われているらしい・・・まあ、この時代だ、特に農村では過酷な労働や栄養状態の悪さなんかで、年をとるのが速いってのもあるだろうけど。
わかったことと言えば、ここが魏のはずれにあたる村だということ。
そして、呉との小競り合いがしょっちゅう起きてその度にこの村も属する国が変わるということ。
そんな村で、梅花は戦に巻き込まれて両親を亡くし、今は一人でこの家に住んでいるということ。


、力持ちね。そんなたくさんでなくても大丈夫だったのに。」
「え?あ、そうだね。」
力持ち?いや、私の感覚からすると別にこのくらいは・・・。
そういや、この時代のせいなのかな、空気がすごく濃い感じで熱が下がったせいか身体も何だか軽い。
まあ、住んでたのが都会だったから空気汚れまくりだったもんねえ。

さて、今日もまた昨日と同じ平和な一日が始まります。
じたばたしたってしょうがないから、何とか元いた時代に戻れる方法探さないとなあ。
無断欠勤これ以上したらやばいし。

「?何の声?」
何やら外が騒がしい。
その時。
いきなり、がらっと戸が空けられた。
そこに立っていたのは、鎧を身につけ、剣を腰に差した兵士らしき男。
「食料の供出を命ずる!速やかに供出しろ!」
え?
梅花も、朝餉の準備をしながら固まっているし、私も薪を運んだ後にちょうど片付けかけた筵と上掛けを手に思わずそちらを凝視する。
外からも、「早くしろ!」などと怒号が響いてくる。
「あ、あの、先日も砦の方がお見えになって、食料の供出をしたばかりです。」
梅花が消え入りそうな声で言う。
「もうじき呉が攻めてくる!それのための備えだ。早くしろ!」
「でも、これ以上は冬を越せなく・・・」
「逆らうか!」
兵士が腰の剣に手をかけた。

「梅花!」
考えるより、先に身体が動いた。
駆け寄りながら、丸めたばかりの筵を兵士に投げつける。
「うわっ」
空中で広がり、兵士の視界が覆われたその間に、梅花の手を引き寄せて、自分の背中に庇う。
ざっと台所を見回して、目についたのは、包丁。
こんなものしかなくてもないよりまし。
右手には包丁、左手にはそのまま持ってきてしまった上掛け。
それでもって、目の前には逆上した兵士。
状況は、最悪といっていいほど悪い。

「貴様・・・!」
今度は、兵士の剣が私に向かって振り下ろされる。
・・・本で読んだだけの対応が役に立つかはわからないけど、薄い上掛けを両手に持って自分との間に距離を作る。
びりりっ!
・・・当然、そんなもので受け止めきれるはずがなく。
刀は上掛けを裂いて、私の左腕の肘上に食い込んだ。
ちょっと、ダメじゃん、愛読書の”サバイバルバイブル”!刃が貫通してるんですけど!
!」
着ていたジャケットも、その下のカットソーも切り裂かれて、ぶしっ、と嫌な音がして血が噴き出す。

「ったあ・・・」
痛い・・・。
でも、これで、剣は止まった。
裂かれた上掛けを両手で捩じるように兵士の剣を腕ごと巻き取って相手の動きを封じる。
「この・・・離せ!」
誰が離すか。

そのまま、右手にまだ持ったままだった包丁を、兵士の顔の目の下付近を狙って下から抉るように突き刺す。
・・・ざりっと嫌な感触。
「ぎゃあ!」
兵士の悲鳴としぶく血に。
私も不快感に顔を歪めつつもそのまま、捩じる。
力の抜けた、兵士の右手に蹴りを入れれば、剣はたやすく、土間に転がった。
顔に傷は残るけど、死にはしないだろう。
その剣を拾い、包丁と持ち替え包丁のほうは自分のズボンのベルトに差す。

形勢逆転。
剣の黒い柄を握りなおす。
柄の上のほうには青みを帯びた玉が埋め込んであって、それが一瞬煌めいた気がした。

「その鞘もこっちに寄越せ。」
「は、はいい・・・!」
転がった兵士に剣を突きつけ。
「この村から出ていけ。二度と来るな。」
「ひっ!」
・・・」

ばたばた、血の流れる顔を庇いつつ、鞘を放り出して兵士が去ってから。
左腕の痛みが戻ってきて、私は土間にへたりこんだ。
ジャケットの、肘上、ぱっくりと裂かれた箇所・・・大体、10センチくらいの刀傷が出来てそこから血が滲み出していた。
「梅花・・・怪我ない?」
半ば、呆然と聞くと。
「怪我したのはのほうよ!じっとしてて!」
あり合わせの布で、梅花が左腕を止血してくれる。

不思議。
さっき、この剣の柄についている、玉が光ったような気がした。

この剣は刀に似ている。
重さも、刃の反りも、長さも。
いや、刀そのものだ。どうして、古代中国にこんなものが?
刀なら、使える。
10代の頃、数年だけど、居合を習っていた。
当時は、オタクの趣味が高じただけだったけど初段だって持ってる。
10代の頃に身につけたあれこれは宝だというけど、本当だ。
それが、しっかりと私と梅花を守ってくれた。

外からは、まだ兵士の怒号が聞こえる。
更に、きな臭い匂いも・・・もしかして、火?
!今外に出たらあぶないわ!」
へたりこんでいる暇はない。
包丁をそのへんに置き、代わりに鞘をベルトに差し納刀すると、私は外に飛び出した。



ふう、と息をつく。
不思議だけど、この刀を手にしてから、何故か身体能力が上がったような気がする。
村に、食料その他の供出を要求に来ていた兵士は全部で10人ばかり。
一応、追い払った・・・のはいいのだけど、半数を片付ける間に、半数が食料を馬に積んで駆け去ってしまった。
もしかしたら、地響きと共に聞こえてきた、進軍するらしき音を聞いたせいだろうか。
呉が攻めてくる、というのは本当だったようだ。
手傷を負わせた兵士も、怯えたようにどこへともなく姿を消してしまった。
いっそ、殺してしまえば面倒がなかったのかな、とも思ったけど。

『ーーーー殺してはならない』

なぜか、頭の中に響く声があって、それ以上、深追いすることが出来なかった。
何だったんだろう、あれは?
男の声のような、不思議な、深くていんいんとした響きを持っていた。

血振りをして納刀して。
村の入り口を見ると、進軍してきたらしき兵団。
旗にあるのは、”呉”の文字。
一難去って、また一難、か・・・。

「これより、この村は魏の砦を陥落させるまでの拠点となる!」
到着した呉の兵士が、村の入り口に立って宣言する。
「お待ちを。先程、魏の砦の兵士たちが、この村で略奪を・・・これ以上、供出されたらこの村皆が冬を越せなくなります。」
この村の長老が、進み出て言う。
「大人しく供出すれば手荒な真似はしない。」
「しかし・・・」
「我らは急いでいる。大人しく必要な物資を供出しないようなら・・・」
「・・・略奪すると?」
「何だ、お前は?」

はっきり言うと、さっきまで刀を振り回していたせいで気が昂っていたのもある。
でもそれより。
また、この村に害を為そうとする奴らが来たのかと思うと本当にうんざりした。
国、君主。
そんなものなんてこうして暮らしている人間にとっては守ってくれるどころか、厄介なものでしかないじゃないか。
昔から特権階級意識を持っている人間達が私は大嫌いだった。

進みでて、長老と相対していた兵士にそう言うと、にわかに色めきたつのがわかった。

「長老が申し上げた通り、この村はさっき魏の兵士が略奪に来たばっかりです。拠点になったのなら、この村はそちらの国に属するんですよね?それを、食料を出せとはあまりにも横暴でしょう。」
「何?」
「あなたが、大将?この国の先人は、”己の欲せざるを人に為すべからず”って説いたそうだけど、そんな当たり前のこともわかっていないようじゃ、そちらの国も大したことないですね。」
『論語』だったらこれよりずっと前の書物だし、味方ではなく敵の食料を奪え、という孫子の書もまた同じ。

さあ、攻撃するならしてきなさい。
そうすれば、私がそちらを攻撃する正当な理由が出来る。
と思ったが。

「何だ?何をさっきからごちゃごちゃ言っている?」
「太史慈様!」

ちょうど到着したらしい、鎧に身を固めた武将が、馬から降りてこちらに歩み寄ってくる。
うわ、身長2メートルは超してる?
たいしじ?うーん。どっかで聞いたような。
あ、そういやシミュレーションゲームで・・・。
呉の武将、だったな、確か。
身の丈ほどの、大きな斧をかついでいる。
更に。

「待て。事情がありそうだ。」
「孫策様!」

太史慈と呼ばれた男の後ろから、ゆっくり、もう一人男が歩み寄ってくるのが見えた。
やっぱり2メートルを超すような巨漢だ。
なのに、鈍重な感じがまったくない。
何故か、空気がぴりぴりと感じられる。
例えるなら、猛獣、そう、獲物を前にいつでも攻撃に移れる虎。

そのまま、出方を伺おうと、太史慈と孫策、と呼ばれた男達を見ていると。
孫策のほうが、私の目の前に歩み寄ってきた。

「おもしろい小僧だ。」

その、大きな手であごを掴まれた。
は?小僧?

「孔子や孫子の文言を持ち出すとはな。この村の人間にしては日に焼けていないな。魏の兵士・・・ではなさそうだ。何者だ?」
「離してください。・・・、です。三日前に倒れていたのをこの村の方々に助けていただいた者です。」
ぱしり、とあごを掴んだ手を振払う。何、こいつ?馴れ馴れしい。
男は気を悪くした様子もなく、更に質問してきた。

?変わった響きだな。どういう字を書く?字(あざな)は?」
「異国から来ましたので。字は、こう、書きます。」
日本、て言ってもわからないだろう、だったらそう言うしかない。
がりがり、と鞘を腰から外して、先端で地面に””と書く。
「字(あざな)はこの近辺の生まれではないので、ありません。」

「知らぬ名だ。なら魏の武将でもなさそうだ。その炎烈鎧は?」
再度、私がベルトに差した刀を見て孫策が聞いてくる。

「”炎烈鎧”?この刀なら、魏の兵士に斬り付けられたときに奪ったものです。」
「では、魏の兵たちを追い払ったのもお前か。」
「正当防衛ですが?後はそちらが、この村に到着したのを見たのもあるでしょうけど。」
「そうか。」

孫策が、ひどく、無造作に手を背中に回した。
はっとして、刀の柄に手をかけ鯉口を切る。

ガキィンッ!

「ぐっ・・・」
「ほう?」
「孫策様の剣を受け止めやがったぜ、この餓鬼。」

間一髪。
かろうじて、抜きつけが間に合って孫策の大剣を受け止めた。
うそ、だろう?
居合の抜きつけは、居合の命、って言われるくらいだし速さを極めるために抜きつけは昔念入りに練習したのに?
さっきの魏の兵士には、相手が武器を構える間に対応できたのに?
こんな、無造作に抜いただけの剣が同じくらいの速さ?ありえない。

孫策の表情を見れば、それが本気でないことはわかる。
半ば本気、半ば冗談だといったところか。だけど。
重!
なんて重いんだ。
信じられない。
これでも、力仕事だってそのへんの男に負けたりなんかしなかったのに。
ついでに、なんて大きさの剣だ。
孫策と同じくらいだから、2メートルはあるし幅だって1メートルは軽くある。
こんな、とんでもない大きさの剣を雑作なく振り回すなんて。

加重に支えきれなくなって、片膝をつく。
ああ、ここまでかな。

!」

この声、梅花?!
そうだ、ここで私が倒れたら、誰が梅花を、この村の人たちを守れるの?
助けてもらっておいて、これで何も出来ないなんて嫌だ。
というヒロイズムが頭を過ったのだけど。
それよりも。
つましく平凡に、人様を傷つけることなく人生を送って来た私が、何でこんなとこでこんな野蛮な男に斬り殺されなきゃならないワケ?
あ、何か、考えたら無性に腹が立ってきたよ。コンチクショー。
なんて不条理だ。
私の人生だ、真面目に生きてきた分、死に場所や死に方くらい選ぶ権利があるよね!
それを、こんな男なんかに・・・!

「・・・っざっけんな・・・!」
「何か言ったか?」

その目を、力を入れて睨み返す。

「うぬぅあぁぁ!」

後から考えたら、女性の出すような声じゃなかったと思う。
気合いと共に。
臍の下の丹田に気を溜めると、両足に力が戻ってきた。
そのまま、ついた片膝を上げ、一番安定するしこ立ちの体勢をとる。
そして、刀の柄にかけた左手をぐっと握りしめ、梃子の要領で上に力を込めて押し返す。
目のはしに、柄に埋め込まれた玉が光り出すのが見えた。
と、同時に。
ぐぐぐ、と男の大剣が押し戻される。

周囲からどよめきがあがったようだけど。
でもそんなのにかまってられるか。
じんわり、と左腕が熱くなって湿った感覚がして。
さっき受けた傷が開いて血が吹き出しているのがわかった。

身長差からいったら孫策と私では50センチ近く、しかも上から押さえ付ける大剣を払うのは、ものすごく力が要った。
剣同士が離れた瞬間、私も後ろに飛び退いて距離をとる。
はあ、と深呼吸をひとつして息を整える。

ダメだ。
もう、次が来たらきっと受けきれない。
この男だけじゃない、周囲にはさっきの太史慈とかいう大男の他に、強そうな武将が何人もいる。
しかも揃って2メートル超してないか?
兵士も、こりゃ相当数いるな。
ああ、短かったな、私の反撃。
こうなったら、もう私一人でやれるだけやってみるか。
人殺しは嫌だけど、この村から追い払えればいい。
あ、でも人殺し云々の前に私の命がないか。
半分居直りというか覚悟を決めて、刀を正眼に構えた時。

孫策が、いきなり笑い出した。
「そ、孫策様?」
「つくづく、度胸の据わったガキだ。」
周囲も皆びっくりしてるよ。
もしかして、この孫策とかいう男には、私が死を覚悟したのが伝わったんだろうか?

「要らぬのなら、その命俺に預けぬか?」
「は?」
強そうな武将ならそっちにたくさんいるだろうに?
「天下を獲るために味方は多いほうがいい。」
「はあ・・・」
「お前は殺すには惜しい奴よ。」

思わず、目を見開いて孫策を凝視してしまう。
何ていうか・・・突き抜けてるというか、こだわらないというか・・・。
そんな私の表情がよっぽどおかしかったのか、孫策は、くつくつと笑いながら、「どうだ?」と問いかける。

ちょっと待て。
確か、呉って三国の中では一番最後まで残る国、だったよね?
後は、この玉のついた刀のことにも詳しかったみたいだし。
一緒に行けばこの村にいるより、元の時代に戻るための情報が得られるかも。
それに。
魏と戦争をするってことは、さっきの兵士たちをやっつけて、この村から奪われた食料その他を取り戻せるよね?
何というか、普段の生活でとっても打算的になった思考回路が、ここで、"はい"と言え、という答えをはじき出す。
せいぜい、利用させてもらおう。

「わかりました。お申し出、ありがたくお受けいたします。これより、あなたの配下となりましょう。」
この時代の礼の取り方はよくわからないけど。
とりあえず、跪く。
そして、孫策を見上げ。

「ひとつだけ、お願いを聞いていただけますか?」
そう、進言した。
「何だ?」
「この村から先ほど、魏の兵士によって奪われた食料その他を取り返したく思います。」
「何か策でもあるのか?」
「はい。魏の略奪者たちを追います。そして、先回りして、砦から見える位置で叩きます。」

今、思い付いたばかりの案だったけど、道なき道をたどれば、砦にさっきの襲撃兵たちより先に到着できる。
更に、その目の前で攻撃することにより、砦から敵を誘い出すことが出来る。
見てろよ、私や村の人たちを傷つけた報いは受けてもらうから。
こういう時、私は即座に自分の出来る反撃を考え出すことが昔から得意だった。
それは、まあ、いろいろ戦い詰めの人生だったからだけど。
「その案、乗ろう。」
皆もそれで異存はないな、と孫策が、周囲を見渡すと、武将始め兵士が頷いた。

よし、これで村の人たちの心情は呉に傾くはず。
そこそこ頭の回る人間ならそこまで計算出来るから断るはずなんてないよね。
うまくいった、とほくそ笑む。
「では、馬の通ることが可能な、先回りできる道を詳しく教えていただけますか?」
私は長老に向き直ってそう提案した。

呉軍は、慌ただしく出発の準備を整えた。

気に入ってた、ライダースジャケットだったんだけどな・・・カットソ−も・・・。
斬られた上に血が滲んで、こりゃ元の時代に戻っても着られそうにない。
さっき開いた傷を再度布で縛りなおそうとすると。

「貸して。」
「梅花。」
あれ?何か梅花、怒ってる?何で?
「何て、無茶するの!」
「え?だって・・・」
「だってじゃない!殺されてもおかしくなかったのよ!それに、勝手に軍に入るなんて決めちゃって・・・!」
「ごめん、ね。」
「ちゃんと、無事に帰ってきてね。」
「わかった。帰りにまた、この村に寄ると思うから。」
本当に、可愛くていい子だなあ、梅花。
よしよし、とまだ怒りがおさまらないらしい、梅花の髪を撫でる。
こんな子を助けることが出来るなら、呉軍に入ったのも無駄じゃないかも、と思えるよ。


「何だ?ガキがいっちょまえに痴話喧嘩か?」
「太史慈将軍。」

いつのまにか、近くに来ていたらしい太史慈が茶化すように言う。
ガキ?痴話喧嘩?
そういえば、孫策も、”小僧”って。
あー・・・男子と思われてるってことですか・・・。
格好は、確かに、ジッパー上げた状態のライダースジャケットに、綿混のズボン、革のスニーカー。
この時代の女性って、武術は嗜まないんだっけ?
でもなあ・・・成人になってからはちゃんと女性に見られてたんだけどなあ・・・。
ま、いいや。一々誤解とくのも面倒だ。
それが、後で余計に面倒なことになると、その時の私は思いもしなかった。
それは、後の話。

そんな私を見て。

「お前、なかなかいい腕してるじゃねえか。」
「ありがとうございます。異国にまでそのお名前が届くほどの太史慈将軍にお褒めいただけるとは光栄です。」
「そうか?いや、ちっこいのに、お前はなかなか見どころあるぜ。」
・・・お世辞に気をよくしたんだろうけど、縮みそうなんで頭をおさえるように、わしわしと撫でるのは止めてほしい・・・何だ?これがこの人の親愛の表現か?何か体育会系の部の先輩達を思い出すぞ。

「変わった型の剣術を使うな。」
「ええ、私の国に古来から伝わるもので。」
この時代にはないけどね。

ところで。
ここで私は一つ、重大な問題に気がついた。
さっきの案を出したからには、当然、私が道案内すべきなんだよね。
そのためには・・・騎馬しかないのだけど。
馬を引いて来た兵士が不思議そうに見る。
太史慈も、「どうした?」と・・・ああ、もうしかたない。
申告しよう。
「実は、馬に乗れません・・・。」

さすがに、全員が固まった・・・よね。
名誉のために言っておくけど、体験乗馬だったらあったんだ。
でも、それでいきなり長い距離を乗りこなせるかったら・・・それは無理。
そうだよね・・・仕方ない、徒歩で・・・と思った時、ふわり、と身体が浮いた。
半ば強引に右腕を掴まれて持ち上げられた私が、すとん、と腰を下ろされた先は・・・馬に乗った孫策の後側だった。
「孫策様!」
さすがに、咎めるような周囲の声をよそに。

「乗馬は呉への帰り道にでも練習するがよかろう。今は、魏の部隊に追い付き砦を叩くのが先決だ。がいなくては始まらぬ。」
”、と呼ばれていたな、そう呼んでかまわぬか、と聞かれ、はい、と答える。
そのまま、孫策は馬に鞭をあて。
「では、出立だ!」
そう、号令をかけて、孫策の操る馬は走り出す。
馬に乗るのって・・腰にひびく・・・昔の人たちはすごかったんだな。
しかし・・・なんて馬だ。
私まで乗ってもびくともしないなんて。


もうじき、砦という付近。

ちょっと待って。
だんだん、後続との距離が開いていませんか?
「あの、孫策様?後続との距離が・・・」
「ああ。そういえばお前を乗せていたのを失念していた。このまま、単騎で突っ込むぞ。」
「ええ!?ちょっ!供もお連れにならないで、ですか?」
何て無謀な君主だ。
何かあったらどうするんだ?
「供なら、お前がいるだろう。」
そんな、さっき配下にしたばかりの人間信じすぎやしないか!?
そう突っ込むより先に。
私の耳は、前方の馬の蹄の音、兵士たちが先を急ぐ声を拾っていた。
「孫策様、前方から先程村で略奪した、魏の兵士たちの声が。」

「しっかり掴まっていろよ!!」
「はい!」
落ちない様、左腕で孫策の腰にしがみつき、右手では抜刀の準備をする。
そうして、私達は戦場のただなかへ突っ込んでいった。


累々と、横たわるのは人間の身体。
孫策の側には、人としての原型をとどめぬ、凄惨な有り様。
一方、私の側には、浅く、だが戦闘意欲を削ぐ程度に切り裂かれうめき声をあげる兵士たち。
感覚が麻痺してしまったんだろう。
血の匂いにも、そんな状態にも、私の心は動かなかった。

「人を殺すのが嫌なようだな。」
孫策もまた、同じように凪いだ表情だった。

そう、やっぱり村での時と同じように、殺してはならない、という声がして。
それが、私の刀の踏み込みを今一歩、進ませなかった。
殺すのは嫌だ、というのは躊躇われた。
侮られそうで。
「孫子曰く、”敵を殺す者は怒なり”と。」
「そうか。」

私が知っている孫子の言葉は少ないけど。
敵を味方に変える、そのために殺してはならない、という言葉は何故かよく覚えていた。

「本当に、もし私が裏切ったりしたらどうされるおつもりだったのですか?」
「お前は、一度した約束を破ったり裏切ったりするような奴ではないさ。違うか?」
「・・・」
「よくわかったな、という顔だな。」

その通りだった。
これが、歴史で名を残した人物か、とその時私は思った。

史実では若くして亡くなるという、目の前の君主はとてもそうは見えなかった。
何ていうんだろう、生気というか、エネルギーを感じさせる。
私から、生きるという欲を引き出した男。
その周囲を、金色の、淡い光が包んでいるように見えた。

「金色の、光?」
私には、そういったものを見る神秘的な力なんてないはず。
まばたきを数回すると、その光は消えてしまった。
「どうした?」
「いえ、金色の光が見えたような気が・・・。」
「そうか。」
孫策は、くっく、と何故か面白そうに笑った。

遠くから、馬蹄の響きと、孫策の無事を確かめる声が聞こえる。
少し、離れた砦からは魏の兵士たちが隊列を組んで進撃してくるのが見える。
「さてと。もう一働きしてもらうぞ。」
「了解いたしました。孫策様。」


何かが幕を開けた。
その時、私は何故かそう感じていた。

***
同時刻、そこより離れた中原のとある場所で。

「新しき星、外つ国より現れる、か・・・。」
蒼天を見上げ、白を纏った人物はそう呟いた。
「孔明様?どうかされましたか?」
前を歩く、深紅の鞘を持つ剣を腰から下げた青年が訝しげに振り返る。
「陸遜。星に新しき動きがあったようです。・・・さて。この星はどちらの側につくか・・・いずれ、巡り会うこともあるか。」
くすり、と孔明と呼ばれた人物は、どこか面白そうな笑みを浮かべた口元を白羽扇で隠した。

***

そう、呟かれた言葉を。
私は未だ知ることはなかった。







Music by 遠 来 未 来 〜えんらいみらい〜曲名「天翔ける」