砦から魏軍をおびき出す作戦はうまくいった。
孫策が私の出した案に手を加えたことになるんだろう。
私と孫策が、単騎と思わせておびきよせる。
少数だと思って魏の砦のほうから攻めて来たら、実は後から呉側の援軍が来るという仕組みだ。

陣をしいて双方の軍はぶつかりあった。
呉の陣は”▲”?いや、矢印のいわゆる”←”だ。その陣形になっているのが何となくわかる。
戦術は・・・あまり詳しくはない。
せいぜい、シミュレーションゲームくらいしかしたことがないから。
しかも、兵士増殖法ってかなり狡い裏技つき。

けど結局は時間の経過と同時の双方の陣はくずれて乱戦になった。

孫策も私も馬を降りて、ほぼ先鋒といえる状態で魏の軍に突入した。
すでに孫策とははぐれ、周囲はほぼ魏の兵士ばかり。

どれくらい、刃を交えているのだろう。
怒号と剣戟の音で、耳の奥がガンガンしておかしくなりそうだ。

これまで、私は真剣を握っても、居合の型の演武をするか斬ったとしても巻藁くらいだった。(そりゃ、平和な現代の日本で生まれ育ったんですから当然だけどね)
今日、初めて刀で人を脅し、殺しはしなくとも人を斬っている。

正面の魏の兵士が繰り出す剣と相対していたかと思うと、横合いから槍を突き出される。
かわして、体勢をくずした相手の顔面に容赦なく肘打ちを入れる。
刀だけに頼らず、身体すべてを使って、自分の知っている限りの護身の技を使って戦い続ける。
肘が鼻と唇の間の急所に入って、血を吹き出した魏兵の一人にやっと、戦意を喪失させたと思うと、さらにその後ろから・・・。
どうして、殺そうとするたびに、頭の中に響く声に止められるんだろう。
それが余計に疲れる。

そう、正直疲れた。
握力が次第になくなってきたのがわかって何度も刀を握りなおす。
汗が目に入りそうになるのを、戦う合間をぬって袖や手でこする。
きっと、血と泥でひどい顔になっていそうだ。

「無事か!?」
横合いから声がかかったのに、気づくと両手に棍棒状の武器を構えた男と目が合った。
額に鉢巻のような布を巻いている。
「この、うらなり瓢箪どもが!」
何故か楽しげにも見える様子で柄の先に巨大な球体がついた武器を軽々と振り回している。
確か、黄蓋将軍、と呼ばれていた。
「大丈夫です!」
それに、怒鳴るように答えて私も刀を振う。
止まるということは死に直結するんだ。
いいな、黄蓋将軍の武器。
あれなら、複数を薙ぎ払える。
居合の技は、せいぜい4人が相手の想定だ。
だから、もう四方切りの技にいろいろミックスして使っている状態。
しかし、いくら男並みに力があって体力があるといってもこれまでデスクワークばかりだったのが、いきなりの命がけのハードな運動だ。
試合なんかのほうが、時間が決まっているだけ、楽。
戦争に、決められた時間などないし、ついでにルールもない。勝ったほうが勝者、敗者に待つのは死。
それでもって、長引けば不利。
どんどん、命も力も削られていくから。

・・・今の私のこんな姿を見たら、間違いなく親は泣くだろうなあ・・・。
大事に育てたはずの娘が、泥だらけになって怒鳴りながら刀振り回してるんだもんなあ・・・。

これは、私にとって初めての戦いだから、初陣ってことになるのかな。
そういや初陣で、死傷する確率は高いんだっけ。
戦闘経験がない上に気負いばっかりあるからそうなる、らしい。
でも、私には関係ないけどね。
私がすべきことは、手柄をたてることでなく、梅花たちの村から略奪された物資を取りかえすこと。
それはもう達成した。孫策の馬と一緒に、後続の部隊に託して安全な場所に運んでもらっているはず。
そして、君主=孫策を守ること。
それは私が、元の時代へ帰るために必要だから。
・・・あー、でも何か口の中からからで喉かわいたな・・・そういや、朝ご飯も食べてなくていきなり戦闘突入だったもんなあ。

少しだけ、ぼんやりしてしまっていたようで、眼前に迫っていた魏の兵士から真上から剣を降り下ろされた。
慌てて横に避け、足刀を繰り出して相手の鳩尾付近にきめ、前にのめった相手を肩口から浅く切り裂く。

危なかった・・・。
今、立っている場所が次の瞬間も安全とは限らない。
そんなん、戦場じゃなかったけど生きていれば結構出くわすもの。忘れてた。

頼るものはいない。自分ひとりだけ。

そうして生きてきたのだから、だから戦場に放り込まれたって、私は覚悟なんて容易に決まる。
男とか女とか言うのは嫌いだけど(そういうことを言うのは決まって、自分に自信のない男だ)、女性のほうが腹が座ったときのここぞ、というときに出す底力、そして状況への適応力はあると思う。

で、守るべき君主だけど。
君主自身の腕は私より確かだから、そこは心配ない。
他に、ずば抜けて戦闘力が高い武将が四人ほど。

君主はすぐ見つかる。
要は、騒ぎのもとを探せばいいのだ。
それにしても、自ら先頭に立って戦う君主がいるだろうか。
呆れると同時に、少し好感も持てた。
普通、君主は奥まったところで指示だけ出しているのかと思ったけど先陣を切るってことは、ちゃんと汚いこと、つらいこと、それも人に押し付けずに自分で引き受けるってことだ。
まあ、もしかしたら好戦的なだけかもしれないけど。

あそこか、と喧噪のいっそう激しい箇所へ向おうとすると。
ひょう、と何かが風を切る音が聞こえた。
上を見上げる。
特に何も見えないけど、気のせい?

周囲を見回すと黄蓋将軍の姿は既に見えなかったが、近くにいた隻眼の武将と目があった。
鉈のような、刀を両手に持っている。
鈍色の衣に見覚えがあった。
名前は・・まだ聞いてなかったな。
さっき、呉の孫策の周りにいた、武将の一人だ。
間に立ちふさがる魏の兵士を躱してやりすごし、味方を避け、側に行く。
背中合わせになるようにして、あの、と切り出す。
「どうした?」
「何か音が聞こえませんか?風を切るような?」

彼も耳を澄ますようにし、その顔がこわばった。

「矢だ!」

は?・・・ええ?!
矢が放たれたってこと?
この乱戦の中に?
すぐ前にいて、砦に背を向けていた兵士の背中に、矢が突き刺さった。
続いて飛来した矢を隻眼の将軍が鉈のような刀をブーメランのように投げて相当数たたき落とした。
私も、自分目がけて来た矢を逆袈裟斬りと袈裟斬りで二回切って威力を落とし分断する。
やっぱり、身体能力はこの魏の兵士から奪った刀を装備した時から、かなり上がっているのかもしれない。
いやー、だって普段の私の能力で矢を斬って落とすなんて無理だもの。

しかし乱戦の最中に、矢など放ったらどうなるか考えなかったんだろうか。
近くならまだしも、遠くは敵も味方も判別して射るなんて出来ないだろうに。

動けないほどの傷を負った者は、敵も味方もなく、射殺されていく。

顔に矢が刺さってのたうちまわる者。
ハリネズミのように、身体中に矢が刺さった者。
その間も、斬られて血を吹き上げて倒れて行く者。
這いずり回る者。
その間にも、鈍器で、あるいは槍で剣で殺傷されていく人間たち。
さっきは、喧噪で聞こえなかったけど、助けを求める声、うめき声、断末魔。

血の赤い色、そして鉄錆のような独特の匂い。
凄惨、それを絵に描いたらこうなるという状況だった。

急所を一突きなら楽だ。
だけど、大抵は生きている部分がだんだん、死んでいる部分より多くなってそうして苦しみのうちに死んで行く。
それを、私は知っている。
少なくとも、死を看取ったことのある人間なら知っている。
だから、平和ボケしてたとしてもわかることはある。
歴史小説を読む時、私達はその中心人物の活躍に心踊らせるけど、本当は行間でどんどん人は亡くなっていく。
自分だけが無事でいる保証なんてどこにもないんだ。

飛来する矢を刀で叩き落としながら、そう思った。

自分の時代じゃない、こんな所で死んでたまるか。
私は、生き抜いて帰る、それだけは、絶対だ。
だから、そのためにはどんなこともして、利用できるものは全部利用する。
揺らがないそれを心に念じていなければ、きっと私はこの地獄絵図を耐えられない。
人は、いや私は、自分が思うほど強くはないのだから。

将軍ともなれば、違うのかな。
そう思って、ちらり、と横を見れば、隻眼の将軍は、何故か痛ましげな顔をして、鉈の形の武器をふるっていた。
固まっていると矢の格好の標的になるかもしれない。
私は、君主がいると思しき場所へ、矢を切って落としながら向おうとした。

その時、視界の端のほうに、まさに魏の兵士に止めを刺し、力つきたのか膝をつく呉の兵士の姿が見えた。
飛来する矢が、音をたてている中、何て無防備な。
案の定、矢が飛来し、反応が遅れた兵士は、目を見開いた。

・・・間に合え!
刀で分断した矢は、勢いは削ぐことができたけど刀身で弾かれた矢尻が手の甲をかすった。
・・・また、傷が増えたよ・・二十歳越えると治りが遅いんだよなあ、とがっくりきたがそんなこと言ってられない。

「動ける?」
顔だけで振り返ると。
「な、何とか。ありがとうございます。」

まだ若いのだろう、呉の兵士がぎこちない様子で返してくる。
日に灼けた顔にそばかすが散っていて、そこには恐怖の表情がべったりと貼り付いている。
ざっと見た感じ、身体の数カ所を負傷、動けるけどこれ以上は戦える状態じゃなさそうだ。
戦争は、こんな若い、大人になったかならないかの子供まで巻き込む。
梅花も、そうだ。こんな時代に生まれてしまっただけで、何て惨いことを強いられるんだろう。

守ってあげなくては。
少なくとも、私はそれだけの力が、今あるんだから。
それが、私を何か落ち着いた、それでいて力が湧いてくるような気持ちにさせた。
うん、朝ご飯抜きでお腹が空いたとか言ってる場合じゃないよね。

「お兄さん、国に誰か待ってる人いる?」
戦場にはかなり不釣り合いな、わざとのんびりした声で問いかけると。
「え?は、はい。母親と年下の兄弟が。」

「そう。じゃあ、お兄さんも何がなんでも生き延びないとね。」

言いながら。
さっき、倒れて絶命した魏の兵士の身体を片手で持ち上げて、砦方向に向けて突き出す。
さすがに死に顔見る勇気はないから、こっちに背中向けて、ついでに自分の顔も背けて。

どすっ、どすっ、と。

矢が、死体に突き刺さる音と感触。
ずるり、とした嫌な感触と重みに耐えながら、魏の兵士の死体を盾にして、矢を防ぐ。
一度は緩みかけた呉の兵士の顔がまたこわばった。
信じられないようなものを見る彼に。

「動けないなら、盾になるものの後ろにいるしかない。悪いけど、私は孫策様を探して、守らなきゃいけない。」
その理屈はわかるよね?そう言うと、こわごわ頷かれる。
「オッケー?・・・じゃなくてわかった?お兄さんの場合はその怪我じゃ動けないよね?君主の次に自分の命を優先すべきだと思う。」
さ、嫌だと思うけど、敵の死体だから。これで防いでなんとか安全そうなところへ、そう言って矢の数本突き立った死体を押し付ける。

死体を盾にする。
嫌な方法かもしれないけど、じゃあ他に何か盾にするものがあるか?あるわけない。
『プライベート・ライアン』でそんなシーンがあった。
あれはマシンガンに対して、しかも味方の死体で防御、だったけど。
それに比べればマシ、ってのは酷な話かもしれない。

頑張って生き残れ、という気持ちを込めて彼の肩をたたいて。
そのまま、離れる。
あ、そうだ。
敵の目を、負傷者から引き離すついでだ。
あつかましくも、ゆうゆうと刀を、柄を中心に片手でくるり、と回してみせて敵を挑発する。

ばーかばーか、当てられるもんなら当ててみろー、斬れるもんなら斬ってみろー。
そんな思いを込めて笑ってやると。
ひゅん、と飛んできた矢が頬を掠めていった。
おそるおそる触ると・・・うわ、ちょっと切れてるし。
・・・ちょっと危なかったな、今の。
うん、油断大敵。調子乗り過ぎ注意。
やっぱり、ふざけるなんてのは私のキャラじゃないし慣れないことはするもんじゃないね。

さてと。
私の君主様は一体どちらにいらっしゃるのかな。
あ、砦の城門前で大乱戦。あそこか。やーっと見つけたよ。
「大将首だ!討ち取れ!」なんて声聞こえてきてるし。
大将だってことはもうばれてるっぽい。
魏の兵士の攻撃集中してるもん。なら、名前呼んでも大差ないだろう。

「孫策様ー!やっと見つけました。」
相手は大剣を振り回しているので、巻き込まれるのはゴメンと少し離れたところから大声で呼び掛ける。

「おお。か。遅かったな。」
言うに事欠いて何て言い種だ、この人は。
どうせ、私は足が遅いですよ。

大剣が振り回されるたび、魏の兵士が薙ぎ払われ、吹っ飛ぶ。
不思議だけど、さっきまでの耳鳴りのような喧噪が去って孫策の声はクリアに聞こえた。

「遅くなり申し訳ありません。でも、ちょっとは御自分の安全もお考えになってください!」
ひょい、ひょい、と魏の兵士や飛来する矢の間を縫って側まで行く。
背中合わせになりながら、言うと。
「それは出来ぬ相談だな。お前は風に吹き止めと言うか?言わぬだろう。俺にそれを言うのはそれと同義よ。」
はあ?何言ってるんだ、この人は。あれか?”攻撃は最大の防御なり”とか言っちゃうタイプか?
「孫策様だけのお身体ではないと言っているんです!何かあったら困ります。」
にまで説教されるとはな。しかもその物言い、誰かを思い出すぞ。」
「は?」

その間も、私達の身体は別物とばかり、魏の兵士たちと矢を薙ぎ払って行く。
ただし、私のほうは相変わらず戦意喪失程度の怪我しか負わせられない状況。

「あの門が見えるか?」
ちょうど、数メートル先、孫策が言うように砦の門が見えた。
「はい。あれがどうかなさいましたか?」
「あれを破砕するぞ。」
「破砕・・・いえ、確かにあれを何とかしないと砦には入れませんけど、二人では無理では。」
いや、だってさあ、ゲームでも投石機とか使ったりしないと無理だったよ?
どうみても頑丈な木と鉄で出来てるし?投石機がないなら、人海戦術で壊すしかないよね?今、二人だよね?

「後ろのことは頼むぞ。」
そう言いおいて孫策は門の前に立った。
「え?あの、孫策様、ちょっと・・・」
言いかけつつも、孫策が抜けた分、殺到する魏兵を私は一人で相手にするはめになり。
ちょっとー、無理では?と後ろの孫策を振り返る。

その時。
ゆらり、と空気が動いた気がした。
孫策の口から気合いがほとばしると共に、その身体を金色の光が取り巻く。
短い、金色の髪が逆立って。
光は、手に持った大剣をも包み。
その光ごと、孫策は大剣を一気に砦の門に叩き付けた。

轟音。
バリバリ、とまるで雷でも落ちたかのような音が響いた。
そして爆風。
まるで雷の落ちたかのような音と共に、砦の扉は、木っ端と鉄くずと化した。


「ホントに破壊しましたね・・・」
魏の兵士たちと同じく、私も風圧でよろけて、地面に座り込みながらちょっと呆然。
「惚けている暇はないぞ。。ここから、だ。」
手を差し出してくるのに掴まって立ち上がる。
「・・・ふ、あははは。」
何故か自分の口から笑いが漏れてくるのを止められない。

嬉しい?それともこれまでの緊張の裏返し?何だかごちゃごちゃでわからない。
だけど、不思議な人だ、この孫策って人は。
ホントに有言実行で破壊しちゃったよ。
この人だったら、何でも出来るんじゃないか、とか思ってしまうくらい。
これとは関係ないけど、きっとついていけば私の望み=元の時代に帰ること、もそう難しくないように思えてしまう。


「この状況で笑えるとは大した奴だな、お前も。」
「いえ、失礼いたしました。まさか本当にお一人で破砕されるとは思いませんでした。」
「使うべき時に使ってこその力、だ。お前はそうは思わぬか?」
尤も、まだ全てを出すときではないがな、と小さく続けられた言葉に、笑い過ぎて出て来た涙をぬぐいながら首を傾げると、いいや何でもない、と返される。
何のことだろう?でも、その時の私は深くは考えなかった。

「思います。では、私が露払いとなりましょう。狭い場所での戦闘なら私にとって有利です。」
そう、本来居合の技は、室内での想定が多かったから、これは本当のこと。

孫策の力に恐れをなしたのか、矢も一瞬止み、魏の兵士たちもまた、躊躇が見えた。
そうして、私たちは、そこから砦の内部になだれこんだ。


***

「深紅の武者?」
「そうだ。刀身が深紅の剣を身に帯び、戦乱に巻き込まれた村人を救済しながら旅を続ける若武者のことだ。」

ははあ、なるほど、私はそれに間違われたのか。
「かなり腕が立つと聞いていたので確かめてみたかった。それに、鞘から剣を抜かなければ刀身は見えぬしな。」

そう、にやりと笑って孫策は手にした杯から酒をあおった。

だから、いきなり斬り掛かるなんて無茶をされたのか・・・って私が突っ込むべきところは、男子に見えているとこですか?それとも若者って、自分の年よりえらく若く見られてるとこですか?いや、それよりいきなり斬り掛かってくるってのは人としてどうよ?
無茶苦茶だ、この人。
心の中で、私はもうこの日何度めになるかわからない突っ込みを入れたのだった・・・。
・・・くそう、私も呑んでやる!
そう思って、私も負けじとぐいっと酒をあおる。
中国の酒は紹興酒と杏露酒しか知らないけど、この今呑んでいる酒も匂いは独特だけどそこそこおいしい。
蒸留酒だろうか?
「おお。いい呑みっぷりだ。」
言って、酒を注いでくるのは黄蓋将軍。
「あ、ありがとうございます・・・。」


戦いが終わった。
呉軍(といっても主に孫策だろう)の勢いに恐れをなした魏の砦は、門が開いた途端、短時間で終息した。

呉軍は降伏した捕虜を軍に加え、そうでない者は牢に入れ、負傷者の手当て、戦死者の埋葬など、実にてきぱきと終えた。
そのなんとも統率のとれた行動に、呉の軍はずっと戦をし続けてきたことがわかる。
そして、それはこれからも長く続く・・・三国志時代として。
私はそこに加わってしまったのだと、改めて思った・・・本当に無事に自分の時代に帰れるかな、と弱気な考えが浮かんで、いかんいかん、と頭を振ってその考えを飛ばし、私が出来そうな作業を手伝う。

すべての作業が済んだのは夕刻。
占領し呉軍のものとなった砦で、砦に入りきらない兵士は中庭などに天幕を張り、焚き火を起こして煮炊きをし、酒を酌み交わす宴が始まった。

私は、孫策に側近だという四人の武将に改めて引き合わされた。

と申します。異国者でこれまで君主に仕えたことがありませんので、礼儀作法などお見苦しいところあるかと存じますが、御指導御鞭撻のほどをよろしくお願い申し上げます。」

確か、拱手だっけ?
武道の一つの流派であったような気がするけど、右手を握りこぶしに左手はまっすぐに添えて目の前に掲げて一礼をする。

「いや、作法は概ね合っている。戦は終わったのだ、そう緊張しなくともよい。」
そうどこか子供に諭すように言ったのは、凌操将軍。
深い鈍色の衣を纏った、戦場で会ったときは鉈のような刀を持っていた隻眼の将軍だ。

「そう固くなるな。まあ呑め!」
これは、黄蓋将軍。
豪快に笑って、どばどば、っと私の杯に酒を注ぎ込んでくる。

「・・・」
無口なのが、周泰将軍。
でも、ちゃんとこちらに会釈のような頷きのようなものは返してくれた。

「俺のことはもう知ってるよな。今日は大活躍だったそうじゃねえか!」
ばん、っと背中を叩いて労ってるんだろうが痛い思いをさせてくれたのは、太史慈将軍。

・・・いやー、私、こんなとこにいていいのかな。
だって、全員将軍プラス君主。
とりあえず知ってる顔がほとんどないから、孫策の顔が見えるあたりがいいかな、と孫策も交えての宴の末席のほうにいたのを、気づかって側に呼んでくれた・・・んだけど。
まあ、時間が経つにつれ、お酌などしつつ少し話に加わるようになれて、そして深紅の武者の話になったわけだけど。

それにしても、長い、一日だった・・・。

歴史小説などを読んだ時、どうして戦いがあったその血の匂いもまだ消えていないのに、酒宴がひらかれるのかずっと不思議だった。
これは、生きて帰ってきたことを祝うためのもの。
非日常から日常へ帰るために必要なことなんだ。

「どうした?」
「いえ、私のような者がここにいてよいものかと思いまして。」

ちょっと緊張気味になったのが伝わったのか、隣に座った凌操将軍が聞いてくる。
この人は面倒見がいいのかな?いろいろ、さっきから、酒肴を勧めてくれたり気を使ってくれてるみたいだ。

「戦場では鬼神のような働きをしていたのに今頃緊張か?面白いな、お前!」
これは、同じく、隣に座っている黄蓋将軍。
鬼神って・・・喜んでいいのか悲しんでいいのか、女性としては微妙なとこなんですけど。

「いえいえ、私など・・・。ここにいらっしゃる皆様は身分の高い方々ばかりですし、武勇に加えて美丈夫でいらっしゃるので私などがいてよいものかと・・・。」

うん、これは本当。
孫策含めて将軍は全員、身長2メートル前後、堂々たる体格。
囲まれると、私は”連れて来られた宇宙人”状態の身長差だよ・・悲しいことに。
それでもって全員男前というか美形、といっていい。
あれかな?前にイタリア行ったときに、警察官とかそういう職業は顔もよくないといけない、って聞いて同行していた子が”じゃあ顔面検査もあるんだね”って言ったのがツボに入って大笑いしたけどこの国もそうなのかな?

「そう、卑下することもあるまい。お前は整った顔立ちな上にどことなく品がある。良家の子弟のように見えるがそうではないのか?」

「そんな、私など・・・」
「こいつ、照れているぞ。本当にさっきまでとは別人だな。」
「太史慈。そう、年若い者をからかうな。」

凌操将軍・・・年若いってのはおいといて。
何か面倒見がよくて、その上褒められたりすると惚れそうなんですけど。
そういえば、さっきも、刀を握っていたせいで、強ばってしまっていた手を、開いたり閉じたりして感覚を戻そうとしていたら、「綺麗な手をしている。」って褒めてくれた。
しかも、「掌の一部に筋肉がついているな。肉刺も出来ずに剣を扱うことが可能ということは握力もそれなりにあるということだ。今後が楽しみだ。」って。
まあ、後半はやっぱり女性向けではないけど、武士としての技量を褒めてくれたってことだから嬉しい。
それに、落ち着いた物腰、深みがあって渋い声。
あ、やば。ちょっとホントに惚れそう。いやいや、落ち着け私。
戦場での恋は大抵、脳の勘違い。
それに元の時代に帰るんだからそんなことしてる場合じゃない。

「ところで、孫策様・・・」
、そのような時は、”畏れながら我が君”と呼び掛けるものだ。」

話題を変えようとして孫策に話し掛けようとすると、凌操に訂正された。

「わがきみ?」
何かたどたどしい口調になってしまったまま首を傾げつつ呼び掛けると、孫策がぷっと噴き出した。
「お前が男とはいえ、そのような愛らしい口調で呼ばれると何か妙な心持ちになるな。」
うっ、何か恥ずかしい気がするのは何でだろう。

「畏れながら我が君に将軍の皆様、私のような者を怪しいとお思いにならなかったのですか?」
ちょっと赤くなってしまった顔を戻そうとしながら、私は聞いた。
しっかり戦って、ちゃっかり酒宴に加わっているけれど。
よくも初対面の素性のわからない私みたいな人間を軍に引き入れて一緒に戦うって判断が出来たよなあ、と。
孫策は何か、君主の直感?みたいなものがあるみたいだけど、他の将軍たちは普通怪しいって思って進言くらいするだろう。

「最初は。だが今はそうは思わぬ。」
あ、周泰将軍初めてしゃべってるの見た。

「孫策様が決めたことだからな。俺はそれに従うぜ。腕の立つところも見たしな。」
「ま、そうだな。」
「私も確かに最初は、危ぶんだが。」
「お前の村の者たちに接する態度、それに真直ぐ人と相対する態度。信頼に足ると皆が判断したということだ。人は意外と見ているものだぞ、。」

将軍四人の意見を、そう孫策は締めくくった。
「あ、ありがとうございます。」
「なぜ礼を言う?」
何だか、無性に嬉しかった。
人と人、それはやっぱり信頼で繋がるものだし、誠実であればそれは心に響く。
時代は違うけど、人は変わらないのだと思えて。


「そういえば、異国と言ったがお前はどこから来たのだ?」

そうして、話は私の出自?になった。
とりあえず私が話したのは、ここから遥か東方にある日本という島国から来たこと。
この国のことは、”漢”と呼んで、昔から交流があって文化の影響を受けていたことと文字の一部に”漢字”としてこの国の文字を使っていること。
何故私が村の外に倒れていたのかはわからない、仕事の帰り道に不自然な意識の失いかたをしたので人攫いにでもあったのではないかと村人たちと話していた、ということ。

勿論、人攫いなんてそんなはずはないが、まさか時代超えて来てしまいました、なんて言えるわけがない。
ざっと説明して、特に孫策を始めとして疑問も持たないようだった。
よかった・・・いろいろ突っ込まれたら苦しいところだし。

そうこうしているうちに、酒も話も進み。
本日の各々の武勇の話題にうつった。

「その炎烈鎧の名前はなんという?」
聞かれて、私はきょとん、とした。
「名前などあるのですか?」
そう言ったら「それも知らずに使っていたのか」とそこにいた全員に半ば呆れられた。
だって、三国志時代にそんな武器なんて伝わっていたっけ?

「宝玉が光って周囲に風が起こっていたのに気づいていたか?」
「ええ、そのくらいは。」
「それは、ある程度炎烈鎧を使いこなせてそれなりの器量を持つ証拠だ。」
やっぱり、そこで解説してくれる凌操将軍はいい人だ・・・。

でも信じられない。
私はそれほど身体能力が高いわけでもないし、居合だって、初段は持ってても基礎技術だけでそんな技量があるわけでもない。

ただ、この時から、本当にここは私の知る古代中国なのだろうかと怪しむ気持ちが芽生えた。
確かに三国志ではいろんな武器が伝わっている。
蛇矛とか・・・青龍なんとか刀とか。
こんな呪具めいたものがあれば伝わっているはず・・・。

炎烈鎧を持って気を高めてみろ、と言われて、鞘に入ったままの刀を両手に捧げもつようにして呼吸を落ち着かせて気を高める。
ぼうっと柄の宝玉が青く光り、その中に文字が見えた。

「その炎烈鎧の名は『黒劫刃』だ。」
「こくこうじん?」

刀に名前?
なんだか、刀オタみたいでやだな・・・炎烈鎧で十分じゃないだろうかと思うんだけど。
それより、さっき宝玉が光ったときにその玉の内部が見えたが、あれは宝石というより、精密機械のような内部だった。
皆の話をまとめると、炎烈鎧というのは発掘される古代の武器らしいけど・・・ってことは古代のオーバーテクノロジー?・・・ダメだ、疲れてるところに大分酒を呑んだから回りが早い。
考えるのは明日にしとこう。

気がつくと、いつのまにか孫策の姿がなかった。
太史慈将軍曰く、いつものこと、らしい。

「では、凌操将軍にはご家族がいらっしゃるのですね。」
「ああ。妻は亡くなったがそなたと同じくらいの年齢の息子がいる。」

隣に座った凌操将軍と、いろいろ話すうちに家族の話が出た。
そうだよねー、こんなかっこいいんじゃ、女性放っとかないよねー、あ、でも今は息子さんだけか。
あれ?でも私と同じ年頃?
「凌操将軍の御子息ですからきっと立派な武者でいらっしゃるのでしょうね。今回の遠征には御一緒されなかったのですか?」
「いや。まだ年若く仕官はしていない。」
あれ?話しがかみあわないな?
「あの、私はとっくに成人しているのですが・・・」
そうして、年齢を言うと。
「嘘はつくものではないぞ。」
「どこがだ?まだ成人前にしか見えねえぞ。」
「まったくだ。言った年なら農村じゃ老人だぞ。」
周泰将軍まで頷いてる。

「いえ、嘘をつくならもっとまともな嘘つきますよ・・・。」
全然、信じてもらえていないらしい・・・。
「まったく・・・」
何か言いかけたらしい太史慈将軍が酒を注ごうとしてそれが空になっているのに気づいて、「もっと酒を持って来い」なんて兵士に向って怒鳴ってる。
嘘なんてついてないのになあ・・・ちょっと、いじけて左腕に巻いた止血の布をいじっていると。
それに凌操将軍が目をとめた。
「そう言えば忘れていた。」
「はい?」
「よく効く薬がある。刀傷に塗っておくといい。」

そう言って、懐から小さな袋に入った薬を渡してくれた。
「ありがとうございます。」
薬は、貝がらを合わせた容器に入っていた。
止血の布を取り、すこし薬を掬いとってライダージャケットを脱いでカットソ−をまくり上げて傷口に塗る。
ありがとうございました、と薬を元の通りに袋に入れて返すと。
なぜか妙な顔をした凌操将軍、黄蓋将軍、周泰将軍と目が合った。
「どうかされましたか?」
「何だ?どうした?」
戻ってきた太史慈将軍も不思議そうに聞いてくる。

「・・・いや、どうも酒をすごしたらしい。」
「だな。」
「・・・」

何か小さな声でぶつぶつ、あれが女?いや、まさか、なんて呟いてる声が聞こえてくるけど・・ああ、そうかそういうことか。
ま、気にしない。
私もすっかり、酒のおかげで気分がハイになっていたので放っておくことにした。

「酔い覚ましに、我が君を探しに行ってまいりますね。」
確かに私もちょっとお酒が過ぎた。
そう言って、よっこいしょ、と立ち上がると、太史慈が声をかけてきた。
「おい。まだ砦内は魏兵が潜んでる可能性があるぞ。」
「大丈夫です、これがありますから。」
と、腰に差した刀を示す。
「それから、歌いながら行きます。そうすれば、敵のほうから出てきますよ。」

***
春高楼の花の宴 巡る盃影さして
千代の松が枝分けいでし 昔の光今いずこ

秋陣営の霜の夜・・・


荒城の月、だ。
中学、いや小学校の時に習ったんだっけ?
現代の歌じゃ、なんとなくそぐわない気がしたんでちょっと古めの歌を選曲してみた。

石造りの回廊からは、月の光が射し込んでくる。
目を閉じれば金色の、光の軌跡が残像のように見える。
これを、辿っていけば孫策のいるところへ辿り着くのだと、何となくわかっていた。
本当に不思議な話だけど。

「我が君、見つけました。」

孫策は、地上を見晴らすことの出来る、展望台のようなところに一人座って酒を呑んでいた。
その姿を、煌々と月が照らしている。
か。見つかってしまったか。」
「お一人で、お酒を呑まれていたのですか?」
「ああ。お前もつきあうか?」
「はい、私でよろしければ。」

そうして、私達は、しばらく月の光を浴びて無言で酒を酌み交わしていた。
晩秋のせいか、風は冷たく、次第に酔いは醒めつつあった。
孫策はずっと無言のまま。
私は、つらつらとこれまでのことを思い起こしていた。

そういや・・・私は大分歴史に関わったことになるんじゃないんだろうかと思った。
いくら、元の時代に戻るためとは言え大丈夫かな、と。確か二つの説があったような。
過去を変えると未来も変わるから戻れなくなる、という説が一つ目。
それと逆に変えられた過去はそうなるべきもので未来に繋がる、いわゆる歴史に組み込まれた約束、という説が二つ目。
考え込んでいると。
「難しい顔をしているな。」
「え?あ、申し訳ありません。」
「先程、歌が聞こえたがあれはお前か?」
「はい。私の国の歌で、荒城の月、という歌です。」
「もう一度、ここで歌ってはくれぬか?」
「それは構いませんが・・・私はそんな綺麗な声ではありませんが、よろしいのですか?」
「謙遜するな。なかなか、よい声であったぞ。」
「ありがとうございます。それでは。」
私は立ち上がって、孫策の前に立ち、歌い始めた。

歌い終わって一礼すると。
孫策も立ち上がって私の側に来て、地上を見下ろした。
地上には、兵士たちの天幕の合間合間に篝火がぽつん、ぽつんと間隔をおいてともっていた。

もっと、よく見てみたくて。
石造りの、数段高くなった塀に登ってみた。
「地上にも星空があるみたいです。」
そう、言ったのが孫策にも聞こえたのか、「なかなか詩人だな」と返された。
何か、ここに来てから孫策はほとんど、話していない。
居心地悪いなー、と思いながら降りようとすると酔って足元が覚束なかったせいか、ぐらり、と身体が外に傾いた。
「っと。酒が過ぎたな。」
間一髪。
孫策に手を掴まれ、引き戻された。
「ありがとうございます。申し訳ありません。」
「俺も自分が風だと思うが、お前も風のようで目が離せぬな。」
ああ、危なかった・・・冷や汗がどっと出てきた。

「孫策様?」
手を掴んだまま、離さないのを不思議に思っていると。
「お前は俺が怖いと思わぬのか?」
思ってもみないことを聞かれた。
怖い?何故?危害を加えられるわけでもない、何故恐れる理由があるんだろう?確かに、常人離れしたパワーはあるだろうけど。
「いいえ。思いません。」

月の光の下、真直ぐに見返した目は、どこか翳りのようなものがあった。
ああ、そうか、と思った。
戦場では太陽のように輝いていた君主は、人知れず戦う何かがあるのだ、と。
多分、その何かとは私が感じている、得体のしれないパワーに関係しているのだろう、と。

そうか、と孫策は呟いた。
「お前は、俺以上に風のようで自由だな。」
「自由とは、拠り所を持たないためにそう思われるのでしょう。人は、自由に憧れつつも不自由を享受して生きるもの、です。」

「お前は不思議なやつだ。」

そう、薄く笑って孫策は私の手を離し、代りに、くしゃり、と私の髪をその手で撫でた。
「まだ酒は残っている。お前はどうする?」
「おつきあいいたしましょう。」

そうして、私達は月が天頂を過ぎるまで、その場所で二人、静かに酒を酌み交わした。









Music by 遠 来 未 来 〜えんらいみらい〜曲名「群雄天星」