それは、太史慈将軍に率いられた、陸遜、凌統、呂蒙、諸葛瑾が合宿から帰ってきた次の日の朝のこと。

ここは、周瑜都督の執務室。
朝も早くから周瑜様に呼び出された私の他にその部屋にいたのは諸葛瑾だった。


「手筈に関しては以上だ。やってくれるか?」
「はい。了解いたしました。お任せください。」

なんてやりとりが聞こえる中、二人に挨拶を済ませた私は執務室入り口付近に設置された自席で書類(というより巻き物だ、これらは)の仕分け、本日の軍議の準備その他に追われていた。

聞くともなく聞こえてくる話はどうやら諸葛瑾を魏に潜入させる、というような内容らしい。
これはあれだろうか、あの苦肉の計だったか・・・この世界に飛ばされる前に三国志をきちんと読んでないのが悔やまれるけれど、確か呉の黄蓋将軍が魏側につくと見せかけ、どっこい伏兵だった・・・という。
そうか、ここでは諸葛瑾がその役なんだ。
私の世界に伝わってる三国志だと黄蓋将軍は老将軍になってるけど、この世界ではチョイ悪系のかっこいいオヤジになってるし。
多少の差異はあるのだろう。(黄蓋将軍のような差異なら大歓迎だ)
呉については詳しくなくて、このあたりと赤壁の戦い付近はどうにか、な私の知識だからなんとも言えないけど。

この執務室で話しているってことは私には聞かれてもかまわない話ってことなんだろう。
最初、私がいることで、ちらり、とこちらに視線を投げた諸葛瑾だけど。
のことならかまわぬ。ここで話されたことを他に口外することはない。」
と周瑜様の一言で、あっさり了解していた。
私、信頼されているんだ・・・と、じーんと来て早朝からの呼び出しにちょっと恨んでいたことも忘れ、仕事に精を出してしまうところが悲しい。
・・・だけど、私は知っている。
それでうっかりミスしようものなら、背筋が凍りつきそうなほどの視線で睨まれて叱責されることを。
今までせいぜい、一、ニ度しかないけどあれは怖かった・・・。
早くこの書類を区分けして、各担当部署へ持っていかなくては・・・それから軍議で使う資料を揃えて、と・・・すっかりそんな秘書業務っぽい仕事が板についた今日この頃。
スケジュール管理だってやってますよ。
そうだ、太史慈将軍たちが合宿から帰ってきたんだったら、午後時間が空いたらどなたかに稽古つけていただこうかな。
デスクワークで溜まったストレスは動いて発散するのが一番。

「それから・・・軍議の前にあれをどうにかしてから行ってくれ。」
「あれ、ですか?」

ん?何か二人そろってこちらを見ています。
後ろを振り返ったら壁しかない・・・”あれ”って私ですか??


しゃき、しゃっ、という軽快な音と共に切られた髪が落ちていく。
あれから、執務室から諸葛瑾に連れ出された私は、庭に面した回廊付近で髪の毛を整えてもらっている。
実は、昨日の夜自分で鏡を見ながら剃刀で髪の毛を切ってみた。
ちょっと失敗したけど、まあいいや、周瑜様も今朝、こちらを一瞥しただけで特に何も言われなかったし。
と思っていたら、向こうはしっかり気にしてくださってたらしい・・・。

「・・・申し訳ありません、諸葛瑾殿。」
「いいや、かまわないよ。それにしても、どうしたんだい、こんなになるまで髪を切っちまうなんて。」
「自分で短く量を減らすためにと切っていたらこうなりまして。」
「毛束ごとぶつ切りになってるよ。どうして、自分で出来ないのに他の誰かに頼もうとしなかったんだい?」
「皆様のお手を煩わせるのも申し訳ないんで、とりあえず自分でまずはやってみようかと思いまして。」
「で、結果こうなった、と。まったく、は見かけによらずやること豪快だねえ。」
「見かけによらずって・・・いえ、面目ありません。」

いろいろ、言いながらもこうして髪を整えてくれている諸葛瑾は面倒見がよくて気が回る人だと思う。
それでいて、本心はなかなか見せない。
だからこそ周瑜様も魏の伏兵にと思ったんだろう。


「不器用なんだから、さ。」

あ、何か今さらりと聞き捨てならないこと言われました。
しかも主語抜き。
何か、含んでますね、これは。
ま、いいか。最近、私が感じてることをそのものズバリ、斬り込んでみようかな。
下手に人から言われるのと自分から言葉に出して問いただすのだったら、後者のほうがダメージは少ない。

「それは、私が文官の仕事も、武官の仕事も、両方精通しようとして中途半端になっているとおっしゃりたいんですか?」
「そこまでは言ってないよ。」

手は止めずに諸葛瑾は淡々と話す。
”そこまでは”?
ふーん、もしかして、周瑜様から何か言われて私に遠回しに伝えよう、ということかな。
髪のことは二の次だったりして。
そう思い至って、少しだけ心をプロテクトモードにシフトする。

「書くのは苦手だったみたいだけど、かなり上達したって話だし。このまま、文官のほうを目指すっていうのも悪くないんじゃないのかい?」
やっぱり打ち身なんかこさえてるの見ると痛々しいしね、とこちらを気づかうような言葉をさり気なく織りまぜてくる。
これは、ますますもって、私を文官のほうへ配置しようってことですね。
どっこい、私は文武両道がモットーなんです。
これだけは譲れない。

「大したことありません。それに男の傷は勲章、ですよ。」
は女性なんだから。」

その一言に凍り付く。
だから髪もだけど自分を大切にしなきゃダメだよ、と続けられる。
・・・ここまで、女性だってほとんどバレずに来たのに、やっぱりこの人は聡いな。
「いつから気づかれてたんですか?」
口に出して言うということは、それなりの確証を得たからなんだろう。
だったらとぼけても無駄だろう。

「最初に会ったときから、だね。」
「そのご様子では、周瑜様からもいろいろ聞かれましたね。」
「そうでもないよ、噂をいくつか。」
「どんな噂ですか?」
きっと、あまりよろしくない噂なんだろうなということは覚悟しておこう、うん。


「魏の砦付近の村で村人を庇って、進軍してきた太史慈や先代の孫策様を相手に、一歩も引かずにそれはそれは見事に物申して気に入られてそのまま呉軍に入ったこととか、周瑜様の下で補佐兼文武両方の面を把握する官にしようと預けられた後女性であることがわかったこととか、その時も一国の君主や都督ともあろう方々が一度された約束を反古にするのかと言ったこととか、身体の一部が違うだけで男性も女性も能力は変わらない、って言ったこととか。」

よどみなく、すらすらと挙げられて。

「ほとんど全部じゃないですか。」
頭を抱えずにいられない。
改めて人から言われると、分かってなかったとはいえ、この世界来てからすごいことしちゃったし言っちゃったな、私。

「村の方々を庇ったのは、私がこの・・・大陸に来て倒れていたのを助けていただいた恩義ある村の方々だからですよ。今から思えば、孫策様相手に啖呵をきって、よく命があったものだと思いますけど。」
「ほんとにねえ。」

あはは、と今は笑いあってるけど本当にあの時、孫策様が、度胸の座ったガキだ、って大笑いしてくれなければ、私はあの村の片隅で野ざらしになってたところだ。
何か女性どころか成人もしていない男子に見えたらしいのだけど。
実はいろいろな意味で笑えない。

「あと付け加えるなら私の性別をご存知なのは、周瑜様と他の将軍の皆様と甘寧だけで、あ、太史慈将軍は未だ気づいていらっしゃいませんよ。」
「あの人らしいね。」

「ご心配いただいて、ありがとうございます。」
きちんと、話そうと思った。
自分の考えと周囲の思惑が違っているのは当たり前、まして今は戦の最中。
一瞬、女性だから、と言われて心が冷えたけど、でも私自身が、自分の言葉で、自分の力量で可能なやるべきことをしたい、と説明しよう。
周瑜様も、諸葛瑾も、きちんと話せばわかってくれる、それだけの度量と理性を持った人たちだ。

?」
「だけど、私は刀を振るうことをやめるつもりはありませんし、鍛練も続けます。」
「・・・」
「私に、やれることをやりたいと思うんです。”流した汗の量が流す血の量を少なくする”って言葉が、私の国の書物にあったんです。今までは、それは自分の鍛練が多ければ自分が生き延びる可能性が高い、という意味だけだと思っていましたが、それだけではないんだな、と最近思いました。」

でなくても兵士はいるよ。が傷付くのを見たくない人間だっているのに?」
「私が、刀を振るえば、その分助かる人たちもいる。誰かがやらなくてはならないことなら、それを人に押し付けずに自分でしたいな、と。・・・結局、自己満足なんですけどね。」
「決意は固いみたいだね。わかったよ。あたしから、周瑜様には言っておくよ。」
「ありがとうございます。」

本当は、何も言わずに職務を変えて訓練に参加するのも禁止可能なはずなのに、こうして話をして意を汲んでくれるというのは・・・真に上に立つ器量を備えているからなんだと思う。
しっかりしないと、私も。

諸葛瑾の手は、その間も手際よく、私の髪を斜にそぐような形で切りそろえていく。
「横と後ろは量を少なくする感じでいいのかい?前髪は?」
「はい、そういう感じで斜にしてそぐようにしてくだされば大丈夫です、前髪はこのまま伸ばします。」
そうすれば、いちいち前髪を切る手間も省ける。

髪の一房をつまんで、日光に透かす。
この世界にくる前までは、暗めの茶色に染めていた毛は伸びて、その分切り落としたのでほとんど黒に戻ってしまっていた。

「毛を染めていたんだね。」
落ちた、毛束を見た諸葛瑾が言う。
「ええ、黒い上に量が多くて重たく見えるので。諸葛瑾殿、私の国に来たら美容師になれますよ。それどころか、あっと言う間にお店を全国展開出来るかもしれませんね。」

手先も器用、トークも軽快、美形とくれば、かなり繁盛するし全国チェーンも狙えるかもしれない。

「美容師?」

ここではない職業だろう、きっと。

「あ、えーと。私の国では、髪の毛を切ったり染めたり結ったり薬品を使って巻いて癖付けたりして整える技術を習得した人たちがいて、個人や複数集まってそれぞれ店を構えているんです。なので大抵の人はそこで髪を整えてもらうのが当たり前になっていて。」

「ああ。だから自分じゃあまり切ったりしないんだ。」
私が自分の髪を切るのに慣れていないのにも納得してくれたようだ。

よし、できた、と剃刀を置いた諸葛瑾が、前にまわって鏡をわたしてくれた。

「ありがとうございます。」

本当に美容院に行ったかのような出来に感嘆の思いを込めて見上げ、お礼を言うと、どういたしまして、と返してくれる。
「いっそ、伸ばしてもいいんじゃないのかい?」
「うーん、手入れが面倒ですし、戦で敵に掴まれると面倒ですし。検討します。」
「そのあたりの思考は、男そのものだよ。」


ばさっ、と髪が服に入らないように羽織っていた布をふるって立ち上がる。


うん、可愛くなった、と髪を撫でながら整えてくれるのに、ありがとうございます、と再度笑ってお礼を言う。

「おや?の目の色は、深い茶色なんだ。」
ふと、目があった諸葛瑾が少し驚いたように言った。


「?別に、めずらしくはないですよ?私の国でも黒髪にダークブラウン・・・じゃなくて、焦茶色の目が一般的でしたから。」

まじまじと見られると何だか居心地が悪い。

「いや、陸遜ちゃんと髪の色も目の色も同じだし、こうして間近で見ると血の繋がりでもあるんじゃないかってくらい、面差しなんかが似てるよ。」

だから驚いた、と。


「陸遜殿にですか?まさか、私はあんな綺麗ではないですよ。」

血の繋がりはまずありえないだろう。
だって、ここに私が来たのが数カ月前だ。
外見だって、女性としても背は高くないほうだし、私はこれまで異性から綺麗なんて言われたことは一回もないし。
まあ、私がここに来る前にしていた仕事は女性的なものより中性的なものを中身も外見も要求される内容だったから無頓着だったし、いたしかたないと言えばそうなのだけど。
ついでに異性より趣味のほうが優先していたし。


「それは謙遜しすぎだろう。
前から、お陸とを見るたびに、どっちも誰かに目元のあたりが似ていると思っていたけど。そうか、二人が似てたんだね。もしかして、本当に血縁者とか?」

「あはは、まさか。そう言われると光栄ですが・・・そんなこと初めて言われました。」
・・・諸葛瑾は、口も上手いからなあ・・・褒めてくれるのはうれしいけど話半分に聞いておこう。

「うーん。瓜二つってわけでもなくて。二人とも、普段の表情が全く違うから皆気づいてないけどは、
お陸を全体に丸み・・・いや、柔らかくした感じかね?」


「今、丸いって言いましたね・・・太ってるとおっしゃりたいんでしょうか?」

今、諸葛瑾、私の地雷を踏みました・・・。
それって、あれか?頬に肉がついて丸みがある、とか鼻先が少し丸い、とかお肉がつきやすい身体だと言いたいのか。

笑顔のまま、そう言うと。

「違うって。は太ってないじゃないか。」
「でも痩せてもいません。」

私の身体は筋肉質な上、油断するとお肉がつきやすい。
救いは、そこそこ胸があることだけど、今はサラシというか白い幅広の布で締め付けて目立たないようにしている。
だからこそ、女性とあまり思われないんだろうけど。
・・・職務の件で心のガードを解いた私がバカだったよ。
・・・いや、不毛だ、やめようこの話題。私が悲しくなってくるし。

「私の場合は・・・いえ、私の住んでいた国はいろいろな民族の血が混ざっているらしいですから。もしかしたら、遠いご先祖様が一緒だったのかもしれませんね。」

ため息をついて、それから顔をあげる。
そしてにっこり笑って諸葛瑾を見上げて話題を切り替えた私に、おや?というように諸葛瑾が目を見開く。
その目は、切れ長で薄い緑色で。
うん、私には自分自身より、こっちの目のほうが綺麗だと思える。

「それより、そういう諸葛瑾殿こそ。」
「あたしがどうかしたのかい?」
「綺麗な目ですね、薄い翡翠色で、澄んでいて。眼鏡で隠すなんてもったいないです。」

眼鏡をかけているのは視線をかくすため?どこを見ているかわからないように?
そう、問いかけると。

「真っ向から言われると、照れるね。」

口元だけで笑って、眼鏡を指で、ついっと押し上げる。
そうすると、光の反射でまた瞳が隠れる。
おや、もしかして本当に照れている?

「ついでに、素直な物の見方や言い方をするところなんかも、お陸とそっくりだよ。でも、のほうが人当たりはいいしどこか、一線ひいてるね。」

「そこは年の功というものでしょう。」

「そういうことにしときますか・・・もうすぐ、軍議が始まるね。行かないと。」

やれやれ、と言った感じで諸葛瑾が笑う。
しばらく、この笑顔も見られない。
無事に帰ってきてほしい。心からそう思う。

「行ってらっしゃいませ。どうか、御武運を。」

湿っぽくなるのは苦手だ。
ついでに、少しだけイタズラ心が起こった。
軽く、背伸びして諸葛瑾にハグをして、背中をぽんぽん、と軽く叩く。

「ちょ、ちょっと?さっきの今だし、好意と受けとっちゃうよ?」

思った通り、動揺してくれてちょっと、満足。

「これは西欧の習慣で、私の国にも最近はいってきた、”ハグ”という習慣です。」
少し、身体を離して言う。
「家族や親しい人同士で、親愛の情を示す時にするんですよ。別に、諸葛瑾殿だけに特別ってわけではないですよ?」
「え?」

うん、本当に思った通り動揺してくれていて、かなり満足。
普段、滅多に自分の感情だしてくれないから新鮮。

「甘寧にしたら真っ赤になって固まってました。でも陸遜殿は全然平気で、ぎゅっと抱き返してくれましたから、この国でもまったくない習慣というわけではないんですね。」

そう、つい友人や部活動のノリでやってしまったんだけど。
別に陸遜が平然としていたんだからこの国でも親しい人の間ではあることなんだ、と思っていた。
・・・実際は、陸遜限定だったのだけど。それは置いておいて。

「皆にやってるのかい?」
「いいえ、まだ太史慈将軍や、呂蒙殿や凌統殿や周瑜様や・・・他の将軍の皆様にはしていませんが。」
「・・・とりあえず、やめておきな。」
「はい。失礼いたしました。」

離れようとしたら、ぎゅっと抱き返された。

「心までは、抱き締めさせてはくれないんだよね、さびしいね。」
「もう、心にもないことおっしゃって。いつも諸葛瑾殿はふざけてばかりです。」

「おふざけが気に入らないかい?それなら本気で迫ってやろうか?」

少し、身体を離されて、目線が合わさる。
背中と腰に回された手には力が入って口調まで変わって目が真剣になって、ちょっとだけ迫力。
内心、ヒヤリともしたけど。
くすっと笑ってみせる。
こういう時、笑えるのは多分、年の功ってやつだろう。

「遠慮しておきます。」
「何で?あたしじゃダメなのかい?」
毒気を抜かれたように諸葛瑾が言う。

「だから、私がちょっとこの国の普通の女性と毛色が違うから珍しくてかまってみたいだけでしょう?」
「まあ、それもあるけど。普通そこまで若い女性が達観して分析するかい?」

「私はもう若いって年ではないですよ。それにね。
私にとっては、ここに来て知り合えた皆さん全員が、家族みたいなものです。」

「家族?」

「とても、とても大切なんです。諸葛瑾殿のことも、大切です。それではいけませんか?」

それは、本当の気持ちだった。
好きかどうか、で言ったらそれはもちろん、好き、と答える。
だけど、それは家族に抱くようなあたたかな気持ち。
こうして、抱かれている腕はあたたかくて、気持ちいい。

異世界の、異国。
この世界に私は一人。
この世界に私の本当の家族はいない。
だから、呉の国で知り合えた人たちが家族みたいなもの。
戦いが起こっている今、いつ別れるかわからない、それでも大切な拠り所。
ううん、世界といってもいい。
だから、誰かが亡くなると、それだけ私の世界は欠ける。
そして、この世界との繋がりが消えていってしまう。
そうなったとき、私はどうなってしまうのだろう。
一瞬、何もない、漠々たる荒野を垣間見た気がして、慌ててそれを思考から追い出す。

「家族、ね。それも悪くはないけど。」

どことなく、寂しげに見える顔で諸葛瑾が笑う。
あ、もしかして弟さんのことを思い出させちゃったかな。しまった。
いろいろ、複雑だって聞いているし。

「でしょう?もう、恋愛なんてこりごり。あれは、体力のある若い人たちがするものです。」

敢えて、軽口をたたく。
そして、ぽんぽん、と背中をたたいて、さ、もう離してください、と催促する。

「まったく。そんな隠居みたいなこと言って。」

急に、あごに手をそえられたかと思うと。


「え?諸葛瑾?!」


”殿”をつけて呼ぶのを忘れた。
それくらい、動揺して。
思わず、自分の口元を押さえる。



・・・唇のほんのすぐそばに、あたたかくて柔らかい感触が残っていた。
いや、唇と唇のはしがほんの少しだけ触れたような・・・いやいやいや。気のせいだ。

「じゃ、行ってくるよ。次からは、今みたいに”殿”はつけないで呼んでよね。」

真っ赤になった私を見て、笑いながら足取りも軽く諸葛瑾が歩み去っていく。

「・・・もう。信じられない・・・。」

やられた。
さっきの言葉に、今の反応じゃ、まるで説得力ないじゃないか・・・。
いいや、ただびっくりしただけ、大したことじゃない。
そう、自分に言い聞かせても、頬に上った熱はしばらく、冷めてはくれなかった。










Music by 遠 来 未 来 〜えんらいみらい〜曲名「藍色の街」