『いとしきみへ』


そこは、どの街にもある、ごくありふれた教会だった。
日曜朝のミサを終えた人々が三々五々帰っていく。
聖歌隊も片付けを始める中、彼は前から数列目の信者席に座っていた。
前の座席の背に立て掛けられた聖書と賛美歌集をぼんやりと眺めながら、火をつけていないタバコをくわえて。

ここは、イタリアに連れてこられたあの人が、何よりも心やすらぐと言っていた場所だった。
おはようございます、今日もいい天気ですね、今日はお仕事は大丈夫なんですか、そんな他愛もない挨拶に答えながら、その人はとても幸せそうに笑っていた。
幸せな人々を見ることで得られるささやかな幸せ。
自分の仕事がこの街の人たちの平和な生活を守ることになると感じられるのが嬉しかったのだろう。
あの人の愛した光景。
でも、あの人は、今ここにいない。
だから、彼の心は死んでしまったも同然だった。


キイ、と背後の礼拝堂の扉の開く音がした。
恐らく神父が誰かいるのを見とがめて戻ってきたのだろう。
コツコツ、と足音が彼の座っているところまで近付いてくる。

神父が喫煙と見とがめてきたのか、と、ややげんなりして。
火はつけていない、と示すために振り向いた。
その唇からぽろりとタバコがおちる。

「10代目」
「ここにいたんだ」

どうして。
ここにいるはずはないのに。
なぜなら。

「10代目・・・お食事会・・・、いえお見合いは」

黒い、上質なシャツの襟はしわくちゃで、赤い絹のネクタイはゆるんで上着もなく。
薄い肩をわずかに上下させながら、その人は彼のすぐ側まで来た。

「断ったよ。死ぬ気であやまってきた」
そう、今日は大切な日だったはず。
ボンゴレの血統にふさわしい、と判断された家の令嬢とその家族との食事会だった。
それを、途中退席してくるなんて。

「そ、れは京子・・・さんのことがあるからですか」
「あのね。一体何年前のこと言ってるんだよ。大体、あの頃から京子ちゃんには何とも思われてなかったの知ってるだろ。・・・言っておくけど、ハルも違うからね」

先回りしてツナはあきれたように言う。

「きみを探しに来たんだ」
見てわからない?
肩をすくめて、まだ暑いのかネクタイを、くいっとさらにゆるめる。

「そんな、何でオレなんかを探しにいらしたんですか?」
休暇をとった部下を、わざわざ、護衛もつけずにたったひとりで。
これでは一番の部下失格だ。

「それならどうしてそんな大切な日に右腕だって言ってるきみが欠席するわけ?」
「それは・・・前々から休暇と決めていた日で」
「おかしいじゃない。行き先も誰にも言わないし」
「・・・おっしゃる通りです」
「ふつうに心配するよ。・・・『獄寺くんムチャするから!!』」
「?」
「そう思って探しにくるのってこれで二回目かな。この見合い話が出たとき、すごく納得いかない顔をしてたし」

「お恥ずかしいばかりです」
その話が出た時、顔色を変えずに切り抜けたつもりだったが。
どうやら思いきり、顔に出ていたらしい。
その事実を突き付けられて、かあああっと頬を赤くして獄寺は俯いた。

「そうゆうところは変わってないのにね」

座席のすぐそばまできたツナは、ん?と獄寺の顔をのぞきこむ。

「言いたいこと、あるんでしょ?」
「もう、ガキじゃねえすから。10代目が血統を残されることにオレなんかが反対なんて」
しません、という言葉は遮られた。
「じゃあ、どうして今もそんなつらそうな顔してるんだよ」

目もあわせようとしない獄寺にツナが焦れたように問いつめる。
イタリアに来てから、獄寺くん、変だ。
前はあんなに、右腕だ、って。
イタリアに来てからの獄寺の態度の豹変について言いつのるツナに。
獄寺は、辛そうに顔を歪めた。
自分が10代目に、心配をかけている。
こんなところまで探しに来させるくらいに。
大切で、本当に大好きな彼だから。
自分の想いなんて些少なことだから。
イタリアについてから、もっと大きな視点で物事が見えるようになって、そうしたらもっと広い範囲で彼を守らなければならないことに気がついて。
自分の独占欲だけではどうしようもなくなって。
だから封印した。しようと、思った。

オレは、と獄寺は言い淀む。
「あの頃も今も、あなたへの忠誠だけは変わっていません」
「そんなことが聞きたいんじゃないよ」

こっちに来て、と獄寺を立ち上がらせると。
ツナのさせるがまま、獄寺は逆らうことなく祭壇近くまで導かれた。
祭壇の前、お互いに向き合って。
どうするつもりなのか、と聞こうとしたその時。

「きみが、好きだよ」

静かな衝撃。
そして、ひたひたと、打ち寄せる波のような波動。
心臓が、大きく鼓動した。
こんなに、決然とした態度で告げられたことはない。

「神様の前でだけは、嘘をつかないで答えてほしい」
「でも」

「ボンゴレの血を受け継いでるのはオレだけじゃないから。獄寺くんは、オレのことどう思ってるの?」
「あなたが、好きです」
「うん。イタリアに来てから初めて言ってくれたね」

思いより先に言葉が出た。
ひとつずつ、言葉を愛しい人に告げるそのたびに、心もほどけていく。
そして、わかった。
この人の一番、そばにいたい。

「誰よりも愛しています」
「うん」

うやうやしく、ツナの手をおしいただいてひざまずく。
そしてその手を額にあてた。
「この命、かけて」
「ストップ」
「え?」

誓約しようとしたその言葉を遮られて。
思わずひざまずいたまま、顔をあげると手を引っ張られて立たされた。

「ちがうよ、どっちかだけが生きるんじゃないんだ。二人で生きるんだ。そう、誓って」

ちょうどその時。
ステンドグラスから、さああっと色とりどりの光がこぼれ落ち、この世のものならぬ炎のようにツナを彩った。
その姿はまるで。

「誓います」

そう、厳かに告げて。
獄寺は二人の間の距離を一息に超えて、唇を重ねた。
ツナの睫毛が震えて、やわらかな唇がそっと開く。
ずっとずっと前に、まだ日本にいた頃、初めてしたキスのように。
ステンドグラスからこぼれおちる光りの中、触れるだけのキスをくり返した。
二人だけの教会で。
正午の鐘が鳴り響く。

「何か、まるで結婚式みたいだね」

長いキスの後、潤んだ目を向けて照れたようにツナが言う。

「ええ。二人だけなのがさびしいですけど」
「いいんだ。オレ達だけが、わかっていれば」

そう、二人だけの神聖な誓いだから、他には何もいらない。
保証人も、過去を無にする象徴の白い衣装も。

「それなら・・・」
「?」
「今夜は、初夜、ってとこですね」
「!もう、獄寺くん!」
今度はツナが頬をかああっと染めた。
獄寺は笑いながら、もう一度ツナを腕の中へ引き寄せた。
ひさしぶりの空気に、お互いすっかり安堵して。
笑いあいながら。

もう一度、唇を重ねた。