『光に風に』



あれから、幾年月が過ぎたのだろう。

以前と同じように在野を旅し人々を助け、知識を分け与える日々。
陸遜が守った大地、その命と引き換えに生かされた我が身。
それは生かされた意味を知らしめさせるには十分すぎる年月だった。

仮の宿の庵で。
燭台の灯りのもとで書をしたためていた孔明は、身体を時折駆け巡る痛みに自嘲の笑みを浮かべた。
玉璽を使った代償。
消滅こそ免れたが、確実にそれは病となって己の身を侵蝕していく。

書き物をしている机の上、開け放した窓から、ひらり、と一枚の薄紅色の花弁が舞い込んでくる。
桃の花弁。
もうそんな季節になったかと、指を伸ばす。


その時。
背後に、気配を感じた。
こんな近くにいて、それに気づかなかったのは、それがあまりにも自然に現れて。
そして、とても懐かしい気配だったから。

「来てくれると思っていました・・・陸遜。」

ゆっくり立ち上がり、振り向く。

「おひさしゅうございます、我が師よ。貴方を迎えに参りました。」

にこり、と微笑んで。
燭台のほのかな灯りの中、陸遜は歩み寄ってきた。
懐かしい笑顔。
我が師、と呼び掛けるときに込められる無限の愛情。
何もかも、五丈原で消えたときのまま。
服装も、呉に仕官していた在りし日のまま。

孔明が軽く、両手を広げると、陸遜は飛びつくように抱きついてきた。
見上げてくる瞳は、純粋な尊敬と愛情を映して潤んでいる。

「そなたは変わらない。」
「貴方もです。あれから幾年月が流れてもちっともお変わりにならない。」

私達は二人でひとつ。
離れていても離れることはない。

かつて、ただ玉璽に選ばれた者同士の宿命として受け取り、暗示をかけるだけに使っていた言葉だったが。
こうして再会出来た今、それは真となった。

「私も、ようやくそなたと共に行くことができるのですね。」
「はい。これからは、ずっと貴方と一緒です。我が師よ。」

孔明の胸に顔を寄せ、安らいだ表情の陸遜。
その黒髪を孔明は何度も撫でた。

「そなたには、本当にすまないことをしました。」
「いいえ私は、貴方が消えてしまうことのほうが怖かった。だから自分のした選択を後悔はしていません。」
「陸遜・・・。」

自分の腕から、愛しい弟子が光となって消滅してしまったあの時のことは悔やんでも悔やみきれない。
安心しきって、満足しきった笑顔で光の粒子となって空へ昇っていった陸遜。
何よりも愛しい者を失ってしまった。
人から褒めそやされる叡智が何になるだろう。
ほんの、僅かな間に陸遜は、誰も手の届かない遠いところへ行ってしまった。

自分の罪の代償として、一番大切なものを失ってしまった。

「愛しい陸遜。こうして、再びそなたをこの腕に抱ける日が来ることを願っていました。」
「孔明様・・・。」
「ずっと、そなたを感じていました。」

あの時。
陸遜を失った悲しみに胸がふさがれるように苦しくて涙していた、その最中。
孔明は空を見上げて歩みをとめた。

陸遜の声が聞こえた気がした。
気のせいかとも思ったが。
太陽から降り注ぐ光に。
頬をなでる風に。
あらゆるものに陸遜を感じた。

「ええ。私も、この中原を漂いながら貴方のことを見ておりました。」
「ずっと、そばにいてくれたのですね。」

光になって。
風になって。

身体は光の粒子となってこの大地に、山河に、空に溶けていった。
身体と同じように、意識も光となって拡散していく中、一人涙しながら歩む孔明を野に見い出した。
(孔明様・・・)
いつか、生まれ変わることもあるかもしれない。
その時まで、自分の心はこのまま、師の元にとどめておこう。
ずっと、貴方の側に・・・。
そして、願わくば生まれ変わっても貴方と共にありたい。


「これからはずっと、一緒です。二人で、新しく生まれ変わる日を待ちましょう。」
「ええ、陸遜、そなたと二人で・・・。」

見上げてくる、愛しい弟子の顔を両手で包む。
額に口づけると、陸遜は瞳を閉じ、くすぐったそうな笑みをもらす。
唇を寄せて。
何度も何度もその唇に口づけた。
縋り付く腕のあたたかさ、身体の重み。
何もかもが愛おしかった。

「出発まで、あとどのくらいの時がありますか?」

唇を離し、そう孔明は陸遜に問いかけた。

「明日の夜明けまで・・・」
瞳を潤ませながら、陸遜がそう答えるのに。
孔明は頷いた。
「それならば、今宵はずっとそなたを愛でていたい。離れ離れになっていた月日の分まで・・・。」
「はい。」
頬を赤らめ、頷く陸遜。
そんな変わらないところも愛おしく、孔明は、笑って陸遜を再び強く抱きしめた・・・。


薄明の時刻。
星の消え行く空を眺め、二人は庵の入り口に寄り添って立っていた。

「我が師よ、出発の時です・・・」

手をつなぎ、傍らに愛する者の笑顔。
それが、この目に見える世界で最後に二人が見た光景だった。
満ち足りて。

そうして、二人の身体を金色の光の粒子が包み・・・。


end


アップデート:2007/9/27

後書きという名の言い訳。:
最終回(25話)後のねつ造ストーリーです。
すみません、普段、あまり後書きを書かない人間なのですが。(余韻は読んでくださった方々それぞれのものだと思うので)
でも、どうしても、これだけは書かないと、救われないと思ったんです。
最初に思ったのは、陸遜、よく頑張ったね、だったんですが、誰も、陸遜の消滅を望んでなんていなかった。 (視聴者ふくめて)
だから、玉璽に選ばれた光と闇、その半身である孔明を陸遜がずっと見守っていて、いつか迎えにきてくれて、そして生まれ変わるまで、生まれ変わっても一緒でいてほしいと願って書いたSSです。
それも、出来るだけ早くというので、孔明、病設定・・・。
「我が師よ、出発の時です・・・」は、夏のイベントで、限定着ボイスとしてダウンロードできた、陸遜のバージョンです。(他に、凌統、太史慈、甘寧、諸葛瑾がありました)
実は、書いた今もまだ、悲しかったり・・・。
しかも、かなり勢いのまま書いたのでお見苦しいところあるかと思います・・・。