”過去からきた未来”




東の、海から遠く遠く離れた山間に小さな村がありました。
穀物をつくり、猟を生業として暮らすこの村は大人から子供まで戦の時には刀を手に働くことでも知られている村でした。
この村に、一人の男の子が住んでいました。
男の子の名前はゾロ、あともう数日したら十歳になるところでした。
その日は、その村のお祭りの日でした。
いつもは静かなこの村も、お神輿を担いだり露店が並んだりする、近隣から見物客も訪れるちょっと有名なお祭りです。
その日、ゾロはお社の境内から少し離れたところで、小さな露店の店番をしていました。
ゾロの目の前には、小粒で身がしまった紅いリンゴに水飴をからめて乾かしセロファンに包んで発砲材にたてたリンゴ飴や分厚い氷の上で冷やしている缶詰のミカンを練り込んだ飴などが置いてありましたが。
お客さんもこんな道はずれのところまではちっとも来ないのでした。

ちょうど。
前の年に姉のようでもあったライバルのくいなが亡くなっていたこともありましたが。
毎年、祭りの日にはくいなに連れ出されて2人であちこち遊び歩いたことなどがなつかしく思い出されて正直今年は来る気がせず、道場で黙々と竹刀を振っていたのでした。
が。
師範に見つかってしまい、「もう今日の分の稽古は終わったんだから。こういったことは間をおいて、毎日続けることが大切。ほらこれで何か買いなさい。」と。
ほとんど強引に祭りに追いやられてしまったのでした。
仕方なく、渡された硬貨を握り締めながら見るともなしに露店をひやかしながらぶらぶら歩いていくと、ちょうど顔なじみの老人に声をかけられました。
「よう、ゾロひまそうだな、ちょっくら店番お願いしてもいいかあ?」
店番してくれたら、そこの飴1つ食べてもいいぞー、と。
既に相当、御神酒をきこしめしていたようで、ゾロの返事もろくに聞かずふらりと出て行ってしまいました。
おかげで、ゾロはもう小一時間ほどその場所でリンゴ飴やアンズ飴やミカン飴を売る露店の店番をしていましたが、お客さんといえばほんの2、3人くらいなもので中にはちょっと質悪く酔っていて、ちょっとだけ呑んでみろ?な?と御神酒をゾロに勧めてくるとんでもない大人もいたりしました。

その少年が現れたのは突然でした。
ちょっと下を向いて次に視線を上げたら、ふっとそこに立っていたような、気配を感じさせない現われ方でした。
黒い髪、黒い目でこの時期では肌寒く感じられる半袖のシャツと半ズボンで、一瞬、ゾロはくいなかと思いました。
が、よく見ればくいなよりもずっと小さく、ゾロよりもいくつか年下のようでした。
その少年の髪から雫がしたたりおちているように見えて。
おや?とゾロはさっき、少しだけもらった御神酒が効いてしまったのか?と目をこすりました。
が、次に見たときは何とも無かったので幻だったのかと思いました。

少年は、よく日に焼けた顔や手足をしていて左目の下に出来てからそう経ってはいないような傷痕がありました。
村の人間ではないので多分、観光客の子供だろう、そう思ったゾロは「アメ、いるか?」と声をかけました。
少年はうん、と頷き、にひ、と歯を見せて笑いました。
「いる。くれ!」
指差した先は、セロファンに包まれた紅い紅いリンゴ飴で、ゾロは発砲材から1つ引き抜くと店の台ごしに少しかがんで差し出してあげました。
「100だ」
値段というと、少年は片手に飴を持ったまま、うーんと首を傾げてポケットを探っていましたが。
やがて。
「これで、たりるか?」
ことり、とアルミ台の上に置かれたものは見た事も無いような、薄い桜色の貝殻でした。
ゾロは、さっきの現われ方といい、これがよく村人が話しているような妖というやつなのか?と背筋を通っていくものがありましたが。
見たところ5、6歳できっとまだお金での買い物について知らないのだろう、そんな子供からお金をとるのも気が引けましたし店主から1つくらい食べてもよいと言われていた飴でもあるので。
「ああ」
とだけ答えて、そっと、その貝をポケットにしまいました。
それに、ぺりっとセロファンをはがし両手でしっかりと棒を持ってかりかりと飴をかじり出した様子に何か訳も無く胸にほのぼのとした気持ちが降りてきてゾロにしては珍しく、本当に珍しく自分から話しかけました。
「うまいか?」
「あまくてうまい!」
神輿パレードが始まったのか、風に乗って境内のほうから太鼓や鈴や笛のにぎやかなお囃子が聞こえてきます。
少年は、赤く染まった舌で飴をなめつつ、
「今日はおまつりなのか」
とわくわくした様子でゾロに聞きます。
「だから来たんだろ?」
何を言っているのだとゾロが思って聞き返しますと。
「ううん、しらなかった」
と返事が返ってきました。
それなら・・・とゾロが思ったちょうどその時。
「悪い悪い、ゾロー、もういいぞー」
と、さっき店番を頼んだ老人が戻ってきました。
「ん?友達か?そうか、なら、ほれ、駄賃だ、遊んでこい」
やっぱりお酒の力でひどく上機嫌な店主はそう言ってゾロの手に、硬貨を1つ握らせました。
さっきの師範からもらったお金と合わせると、2人分でちょっとしたものくらいは買えそうな金額になったので、ゾロは、ちらりと早くも飴を食べ終わった少年をみやって言いました。
「お前、時間あるか?」
「じかん?」
「祭り、案内してやるよ」
「うん、いく!」

境内に向かう道は、それなりに人でごった返していましたので、はぐれないようにとゾロは少年と手をつなぎました。
紅葉のような、先がまるい子供らしい掌で、ゾロの剣だこのできた掌にくるまれると、びっくりしたように少しだけもがく動きを見せましたが、すぐに、きゅう、と握りかえしてきました。
横に並ぶと、少年はゾロより頭ひとつ分ほど小さくて、ゾロを見上げるようにして一生懸命、話し掛けてきます。
「ゾロのて、かたいなー。」
「剣の稽古、してるからな」
「ゾロは、ケンがつかえるのか!」
「大人にも負けねえ」
すごいなー、と目をきらきらさせる、何時の間にかゾロの名前を覚えてしまったらしい少年を連れて、ゾロはお社の境内へ向かいました。
「あ、あれなに?あのまるいの?」
「あれは、タコヤキだ。・・・食うか?」
「くう!」
2舟買って1つを少年に渡して、ゾロと少年は遠目でもお神輿が見える小高くなった斜面に座りました。
楊枝で食べるのだと教えると、少年は、はふはふととてもおいしそうに頬張ります。
そういえば、とゾロは先ほどから少年が自分のことを尋ねるばかりで自分は少年のことを何も知らなかったことに気がつきました。
「どっから来たんだ?」
「海のちかく!」
なのに、タコヤキを知らないのか?とゾロが怪訝そうな顔をしますと、少年は、「こういうたべかたは、はじめて」と言いました。
あっという間にタコヤキを平らげたのを見て、少年が意外な食欲を持っているのを知ったゾロは、
「まだ、何か食うか?」
と尋ねますと、少年が満面の笑顔で、
「くう!」
と答えるのが予想通りだったので、少し笑って「ちょっとまってろ」と少年を1人そこに残して今度はヤキソバを入れたパックを2つ買い求めました。
かさ、こそと。
落葉を踏んで戻る途中、ゾロは去年と同じくらい、もしかしたらそれ以上わくわくした気分でした。
そんな自分がひどく不思議でもあり、今、松林の斜面から手を振っている少年も、ひどく不思議な子供だ、と思いました。

神輿パレードを観て、露店をいくつかひやかして、秋の陽がやや西に傾き始めたころ。
どんが出来たぞー、と境内の真ん中でひときわ大きく、知らせる声が響きました。
「どん?」
「しらねえのか?米をふくらませてつくった、甘いやつだ」
「あまい?」
「くって・・・みるだろうな?」
「くう!」

子供には、どん、大人には甘酒を無料でふるまう祭りの終了時に。
ゾロも、どんを2つもらって先ほどの小高い斜面に少年と座りました。

「あまい・・・あ、くっつく」
「静電気だな」
見ると、少年の口や頬の周りにはふわふわと、どんがくっついていて。
なんだお前かわった体質だな、とゾロは笑いました。
取ってあげようと、ふれた頬と口の周りは、どこかふにっとして柔らかく、やさしい感触です。
「くすぐったい」
「じっとしてろ・・・ほら、またくっついた!」
久し振りにゾロは笑ったような気がしました。
弟が出来たら、こんな感じだろうか、とゾロは思いました。
くいなが亡くなってから、こんなあたたかな気持ちで誰かと並んでお菓子なんて食べることなんて、想像もしていませんでした。

太陽がほおずきのように橙色になって地平線に溶けていこうとする頃。
不意に、少年が何かが聞こえたかのように後ろを振り返りました。
「よんでる」
「呼んでるってお前の親とかか?」
「うん、エースがよんでるからもう行かなきゃ」
ゾロには何も聞こえませんでしたが、他の観光客も三々五々、家路につくのを見て頃合を悟りました。

「ありがとう、ゾロ、すっごくたのしかった」
少年は、せいいっぱいゾロを見上げてお礼を言いました。
少し短かめの黒い髪も、褐色に焼けた柔らかな頬も、残照につやつやと輝いていて。
「また、来いよ」
ひどくぶっきらぼうになってしまいましたが、ゾロの精一杯の言葉でした。
たった数時間しか一緒にいなかったというのにゾロはとても名残惜しくなって少し屈んで少年と目をあわせると、じいっと覗き込みました。
少年の黒い瞳のなかに小さく自分の姿がうつりこんでいました。
「うん」
少年は、しし、と短く笑って観光客の間をすりぬけて走り出し、やがて見えなくなりました。
そうなって、初めて、ゾロは少年の名前も聞いていなかったことに気がつきました。
初めて呑んだ酒と、どこか甘い気持ちと、ひんやりして薄い桜色の貝と。
その年の祭りはかすかに甘い追憶となって。
それから、数年の間、その桜色の貝を見る度そのことをゾロは思い出して胸の奥がほわっと暖かくなり同時に海への憧れを抱くようになったのでした・・・。

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「それで、その話はおしまい?」
「それで全部だ」
陽光が降り注ぐ甲板の上で。
デッキチェアに座ったロビンが、動じないこの女性にしては珍しく上機嫌の部類に入る表情で。
組んだ脚の上に広げたノートに何やら熱心に書き綴っている。
さらさら。こりこり。
ノートの上を走る手ずれと鉛筆のかすかな軋みの音。

そこから数メートル離れた甲板に直に胡座をかいて、刀の手入れのかたわらすっかり付き合わされた形でいるのはこの船で最古参の剣豪。
そして、更に数メートル離れていつもの羊頭の舳先に座っている船長。
それは珍しい取り合わせではあった。
話すのより少し遅い速度で文字を書き綴っていた手がとまるのを見計らってゾロは口を開く。
「こんな話が面白ぇのか?ついでに、話したより書いてる量のほうが多いような気もするんだが」
「ええ。とっても興味深いわ・・・結構、民間伝承の昔話って似通っているものね。ついでだから昔話風にしてみたわ」
「おい」
この考古学者が長年追い掛けている、真の歴史と口承での昔話とは対極にあるのではないかと問えば、そうでもない、と言う。
こういった、民間にこぼれた話には大体、源となる事実がありそれに基づいて民話は語り継がれていくのだ、と。
ゾロの出身地がどこか、おそらくウソップあたりにでも聞きだしたロビンに、ぜひともと請われて話すうちについ自分の体験した話になった。

彼の生れて育った村は、妖しと呼ばれるものと共存しているような、伝説と現実がとけあって境界線がないような、そんな場所だった。
子供たちがあそんでいると、いつのまにか見覚えない子供が混じっていたり。
毎年、年の半ばにある祭りでは死んだはずのひとたちが普通に混じって楽しんでいたり泊まっていったりするという話もざらにあった。
そんなあちら側とこちら側の境界線のひどく淡いような、そんなところで育ったせいか、ゾロ自身もあまり不思議なことに動じなくなった。
むしろ、そういうものなのだと思うようになってしまった。

「もう、その貝殻は残っていないの?その男の子からもらったっていう?」
「ああ、残念ながら村を出たときおいてきちまったらしい」
「そう・・残念ね。きっとそれはオーパーツに違いないからじっくりと調べてみたかったけど」
「オーパーツ?」
「Out of Prace Artifact、”あるはずのないもの”の略称よ。さてと、ありがとう。すっかりひきとめちゃって」
「いや」
清書しなきゃ、とロビンはひとつ伸びをすると、踵のついたサンダルにも関わらずネコのような足取りで甲板を降りていった。
ゾロも、仕上げに懐紙でかるくぬぐった刀身を鞘へしまうと。
同じ姿勢でいたせいで、少しこわばってしまった首筋を、かきこきと鳴らしながら、船長のいる船首へと向かった。

「おい」
「んー?」
「終わったぞ」
「話し、終わったのか?」
「ああ」
そっか、とルフィは、両手両足をぐーっと伸ばして背中を倒すように伸びをした。
そのまま、何ごともなかったかのようにけぶった水平線をルフィは見続けた。
いつもなら、こうして声をかけるとそれは嬉しそうに、にかりと笑って船首から降りてくるのに。
「何をそんなに拗ねてるんだ?まさか妬いてるんじゃねえよな?」
「バカじゃん」
「じゃ、今まで思い出さなかったことに怒ってるのか?」
よっ、とゾロは船首によじのぼり、ルフィの細い肩に背後からおぶさるように腕をまわして抱きしめた。

「あれは、お前だったんだろ?」
「なんだ、ようやく思い出したんだ、ゾロ」
「村の連中が言ってたように、妖でもみたのかと思ってた」
まあ、確かに悪魔の息子みてぇだけどな、とゾロの大きな掌が、ふざけて麦わらごとルフィの少し癖毛の頭をかきまわすと。
今度こそ、ししし、とくすぐったそうな嬉しそうな笑い声があがる。
「いつ、思い出すのかと思った。ようやく”またあえた”な」
笑いながら、もがいてゾロの太い腕からぬけだそうと手足をばたつかせたので、ついに2人は船首からずりおちて甲板の上にどすんとしりもちをついて落ちた。

「で、桜貝はなくしちゃったのか?」
「そう思ってたんだけどな、最近まで」
「?」
「どうやら、そうじゃなかったみたいだな」

こと。と。
ゾロの黒いズボンのポケットから落ちたのは、桜色をした薄い貝殻。
「やっぱりなくしてなかったんだな」
「なくしたと思ったんだけどな、また、いつのまにかポケットに入ってた」
「そっか、やっぱり不思議貝だったんだなー」
つやつやと、淡い桃色に輝くそれをつまんでルフィはまじまじと見つめ。
何故か1人で納得して頷いている。

「ところで、不思議に思ってたんだが、どうしてあんな離れた海辺の村からおれの村まで来れたんだ?」
「それがさー、どうもよく覚えてねえけど、あの日、海でおぼれかけたんだ、おれ」
と話すルフィ自身もどうやってあそこにたどりついたのか、わからないという。
話しを総合すると、こういうことらしい。
「あの日はシャンクスが出発する前の日で、自分のせいで傷をおったシャンクスを見るのがつらくて家にも村にもいづらくて海辺をぶらぶらしてたら桜貝をみつけて、握った、と思ったら深みに脚をとられて、気付いたらゾロがいた。んで、何か呼ぶ声がすると思ったらエースが必死になって、名前をよびながらゆさぶっていた」らしい。
あまり要領をえた答えではなかったが。
では、あれはルフィの魂かなにかでも抜け出てきたというのか?それこそ昔話にもありそうだ、と。
創作よりも奇なりな事実にゾロは思った。

「あれは何だったんだろうな?」
「んー、まあそういうこともあるだろう!」
いや、そうかもしれないが・・・そうあっさりかたづけられるものでも・・・とゾロは少々納得できかねる表情だったが。
はい、なくさないように持ってろよ、とゾロに桜貝を手渡すルフィの。
桜色の小さなまるい爪。
あの時、握った子供の手がそのまま大きくなったような掌。
どこか稚気をたたえた強い漆黒の瞳が、ただ純粋な嬉しさだけを映している。
ゾロの、ふだんは凪いだ水面のような碧の瞳の奥にも暖かい灯りがちらちら光る。
この、ゾロが自分だけに見せる目が大好きだ、そうルフィは思った。
お互いに見せる柔らかな表情。
最初に出会った時から、変わっているようで何も変わっていない。

ルフィは、ゾロの筋肉で盛り上がった背に両腕をまわし、たくましくひきしまった肩に、顎をのせた。
ルフィのとがった顎に、ゾロは少しくすぐったそうな顔をしたものの、ゾロは素早くあたりを見回して、他に人がいないのを確かめると。
そっとルフィを抱きよせて耳の側でささやいた。
「あの日のことがあったから、海にでようって思ったのかもしれねぇな」
おれも、同じ、と笑うルフィの吐息がゾロの首筋をくすぐった。

また会うことができた。
そうして、一緒に旅をして、強い絆で結ばれることができた。
特別な関係になって、同じ夜を、熱を、何度もわかちあってきた。
運命や絶対などと言う言葉は信じたくはないが、どんなことがあってもまた出会えるというこの事実だけは信じてみてもいいのかもしれない。

+++++++++++++++

「残念、あったらもらおうと思ってたのに」
ちょうど甲板の階段から降りた2人からは見えない位置で、そっと彼女は呟いた。
奇跡のなごりのような、貝。
オーパーツ。
あるはずのないもの、会うはずのない2人が。
「会うことを定められた、魂の双児みたいなものかしらね、おもしろいわ」
人に、興味をもつなんてありえないと思っていたけど。
存外、人間は面白いものなのかもしれない。
そう、考古学者は呟いて、ノートの、続きに一行書き足してぱたり、と閉じた。


記し終えて、ぱたりと閉じたノートの向こう側。

頬をよせてくちづけをねだる船長と。
それを懐に抱き寄せて唇を重ねる、剣豪の姿。

・・・そして、その数年後、二人は桜貝に導かれたようにめぐりあうことができました・・・。





『過去から来た未来』
S*B*S;ちーちゃん