「背中」

椰子の木々の天辺には、白くまるい月。
開け放した診療所の窓からは、夜の風と。
それにのせて遠く、祭りの喧騒を運んでくる。
窓に面したベッドに横たわっていたゾロは静かに口を開いた。

「ルフィ。そこにいるんだろ?」
目を閉じたまま、唇から滑り出た言葉に。
外の椰子の木々がざわめく。
目を開き、診察室の入り口をゾロは見やる。
つん、と鼻をつく薬品の匂いに混じって、潮の微かな香り。
そして微かな音と共に。

ルフィがそこに立っていた。
ひどく、物憂げな風情で。
月の青白い光が麦わら帽子にあたってその柔らかな頬に儚げな陰影を与え。
何か傷みをこらえるような顔でルフィはゾロを見つめていた。

らしくない様子にゾロは眉根を寄せて上体を起した。
ぎし、とパイプ製のベッドの軋みと同じく、身体も軋んで痛みを訴えたがそんなことは問題にならなかった。

「・・・どうした?傷でも痛むのか?んな顔してよ・・・。」
見当違いな問いかけをしていると、わかっていてもゾロはルフィに一応そう聞いた。

首を横に振って、ルフィは相変わらず何も答えない。
ただ、ルフィが奥歯を、きり、と噛み締める音だけが響く。

そういえば。
鷹の目と戦っていた時からルフィはこんな表情をしていなかったかとゾロは思った。
戦いの最中にまともに見たわけではないが、必死にヨサクとジョニーを押さえつけて、一時たりとも自分を見逃すまいとしていたルフィ。
その後、ナミや村人を助けるための闘いに身を投じてしまった時はさすがに違ってはいたものの。

「どうした?」
何も言わないルフィに再度問い掛けたゾロに。
ようやくルフィは口を開く。
「もう、キズ大丈夫なのか?」
「大分寝たからな。もう治った。」
「そっか。そば、行ってもいいか?」

きゅっきゅっと、診察室の床を鳴らしてルフィは寝台の傍まで歩いてくると。
何を思ったか、上体を起したゾロの寝台によっこらしょ、と上がりこみ、枕もとにちょこんと座り込んだ。
そして、膝をかかえるとゾロの背中にもたれた。
ずる、と麦わら帽子が左に傾いで床に滑り落ちても頓着せずに。
ルフィはゾロの肩の後ろ側にちょうど、頬を寄せ。

「ルフィ?」

やっぱり、らしくない。
(何か怒らせるようなこと、したっけか?)
思い当たることとはあると言えばあるが、ないと言えばない。
さすがにゾロも困惑しだして、頭を片手でがしがしと掻いた時。
それまでじっとしていたルフィが動いた。
こわごわと、ゾロの肩口からまかれた包帯に、その指を這わせてくる。
適切に処置を施されたゾロの上体は白い包帯で覆われ、薬品の匂いとそれに混じって少量の血の匂いがするだけになっていた。

「・・・ゾロが。・・・生きてて、よかった。」
「急にどうしたんだ、ルフィ?」
ゾロの言葉にも頓着することなく。
窓から差し込む月の光を背に、ルフィは淡々と言葉を紡ぎ出す。

「おれ、あの時さ。ゾロが鷹の目ってやつと戦ってたとき。ずっと、お前の背中見てた。」
見ることで、一体になったかのように。
ただ、白いシャツの見慣れた広い背中を見つづけた。
目を逸らすことなんて出来なかった。
脳裏を、あの時の光景がフラッシュバックする。
ゾロと、その鮮血とそれを見つめている冷たい鋭い瞳の男。

それを振り切るように再度、ゾロの背中に額を押し付けたまま首を振り、ぎゅっと瞳を閉じた。
過ぎたことなのに、こんなにも胸が痛んで締め付けられるのはどうしてだろう。
顔を覗き込んでこようとするゾロを避けるように、ルフィは今度は背中合わせに座った。
ゾロの、広い背中。
自分より一回り大きな背中。
不思議と。
こうしているとここが世界で一番安全な場所のように思えてくる。

背中。

どんなときでも、譲れないとき以外はゾロはルフィを傷つけまいといつも前に出る。
自分のケリは自分でつける。
それはお互いわかっていて。
暗黙の了解のようなものだった。
だから、何も言わず、相手の譲れない戦いの時は見守るだけ。
だけどそれ以外は、いつも自分よりも素早く状況を察知して動き、自分をそこに庇ってくれる頼もしい背中。

「・・・この背中をなくしちまったかと思った」
ぱたり、と肩口をなぞっていた手をシーツの上に取り落とし、ルフィが呟く。
ゆるぎない背中。
その背中が鷹の目との闘いで視界から消えた時、多分自分は絶望したんだとルフィは思った。
生まれて初めて。
麦わら帽子の持ち主のように、いつかは会えるという希望のない世界に取り残されて。
何を無くしてしまったのか、はっきり自覚したのだと思う。

その瞬間。
ルフィの目にはゾロしかうつっていなかった。
そして、叫んだのもゾロの名前。

(やっぱり、不安にさせちまってたか)
ゾロは、ようやく、ルフィのらしくなさの原因に思い当たった。
「じゃあ、今度は何があってもお前のそばにいるって約束でもするか?」
気休めにしかすぎない、とわかってても。
それでルフィの気が安まるなら。

「約束なんか、いらねえ。」
途端にルフィは、きっぱりと返してきた。
どんな約束だって。
その約束を守ろうをするのにきっとゾロは命をかけてしまうから、約束なんてしてはいけない。
ゾロは、絶対、約束を守ってしまう。
あんなに毛嫌いしていた海賊だってなると決めたらもう躊躇いはなかった。
それがわかったのはバギーとの戦いの時。
「海賊だ」と自ら、ゾロがその口で言った。
うれしかった。
だけど。
(けど、何にもいらねえ。ゾロが生きててくれたってだけで・・・)

「ゾロの背中に傷なんてゼッタイつかないように、おれ、守るから」
本当はもっと。
労いの言葉だって言いたい言葉だってあるけど、それだけ言うのが精一杯だった。

背中越しに、ゾロが、ふう、とため息を吐くのがわかった。
(おれ、やっぱり変だ。変なこと言っちまったし、きっとゾロ、困ってる。)
どうしよう、とルフィは今更ながらに思った。
が。
「バカか。そりゃこっちのせりふだよ、船長。」

背中越しの気配でゾロが笑うのが感じられた。
(ったく、何を言い出すかと思えば。)
この船長は、自分がどんなことをしでかしてくれたのか、どんな影響を人に与えるのか、まったくわかっちゃいない。
そう思うとゾロは可笑しかった。

敗北するなら死んだほうがまし。
これまでのゾロの生き方はそうだった。
事実、海の上に出てからは負け知らずだった。
鷹の目のミホークと対戦するまでは。
ルフィは終始無言で、じっと闘いを見守っていた。

(世界一・・・!!)
野望は、2本の刀と共に砕け散った。
負けるなんて考えたこともなかった。
でも負けた。
震える手で、くいなの形見の刀を、キン、と鞘に納める。
覚悟はできた。
あとは・・潔く死を受け入れるだけ。

ずるり、と握りしめていた手から刀が滑り落ちる。
人間、死ぬときは本当に何も持たずに死ぬんだな、と妙に納得する。
(くいな・・・)

・・・静か、だった。
世界が鼓動そのものを止めてしまったかのように。
自分の傷の痛みさえ、やけに遠く思えた。
そう、遠く。
自分は世界最強の剣士に遠く及ばず負けたのだ。
死んだほうがましだ。
多分、一人だったら死んでいただろう。

「ゾローーーー!!!!」
ルフィの声がした自分の沈んでいく海に響き渡った瞬間。
どくん、と。
再び世界が音と鼓動を取り戻した。

自分の野望。
死んだ親友との約束。
そのどちらも潰えた。
けど、もうひとつ。
どうして世界最強にならなくてはならないのか、それをゾロは思い出してしまった。
生の世界にゾロをとどめたのは、一番最後に会ったはずのルフィだった。
あの笑顔をもう一度。
そして自分の名を呼ぶを聞いていたいと。
そう思った。

ルフィは、ありのままに自分を受け入れてくれる。
船の上で。
ルフィのそばはひどく、居心地がよかった。
晴れた日に海をわたって、波の飛沫をきらめかせるような。
そんな穏やかな風が吹いているような。

ルフィが海賊王で自分が大剣豪。
きっとその夢もすぐに叶う。
夢は自分の力で叶えるもので誰も助けてなんてくれない。だけどルフィと一緒なら。
そんな他愛のない夢を見ていられるような、そんな時間をルフィはくれる。

潔くて、前ばかりみつめている船長の、小さな背中。
だけどそこには不思議な吸引力があって、誰も彼もがそこに惹きつけられてしまうのだ。
一緒に仲間として旅をして培ってきた確かなもの。
手放したくなかった。
守っていきたいと思った。
だから、足掻いた。
生の世界にむかって。

その瞬間。
ゾロの目にはルフィしかうつっていなかった。
そして、呼んだのもルフィの名前。


「なんだ」
脱力したようにルフィが言う。
「?」
「それじゃ結局、おれたち、同じこと考えてたんじゃん!」
お互いが、お互いの背中を見つめて、守りたい、と。
納得したルフィは、脱力したようにゾロの背中にずるずるともたれかかった。

(今なら、言える、か。)
船長の様子に、ゾロは考えた。
そして。
「ルフィ。」
「んん?」

「お前が、好きだ。」

はっきりと。
言葉にして船長に告げたのはこれが初めてだった。

真っ直ぐに、ルフィを見つめるゾロの視線に。
「お、おれも好きだぞ?おれの仲間はみんな、大好きだ。」
そう言いつつも、ルフィの目は泳いでゾロを見ようとはしない。
更に、仄かな紅色が頬に上っている。

(ごまかそうとしてやがるな。)
それはゾロにもわかった。
再度、たたみかけるように。
「世界で、一番お前が好きだ。」
そう言ってやると。
今度は、ルフィは目を逸らしたまま頬だけでなく耳たぶまで、かあっと赤く火照らせた。
その様子を面白そうにゾロは眺める。

「ルフィ、こっち向け。」
「やだ」
強引に、こちらを向かせようとするゾロの手を振り切って。
ルフィはゾロのかけていたシーツを奪い取ると、その中にすっぽりくるまって顔を隠してしまった。
そのまま、ベッドから降りて外に出ようとするルフィを、慌ててゾロは引き止める。

「んだよ?オラ、顔見せろって。」
「やだ!」
時々、へそを曲げるとこの船長は、なかなかに頑固になる。
すっぽり頭から隠していたシーツをたくしあげ、なおも隠そうとする、ルフィの細い両手首を掴んで顔を覗き込むと。

「・・・?」
ちょうど、頬を一粒、涙が伝い落ちて行くところだった。
「な、んだよ。泣くようなこと何も・・・いや、悪かった。」
あたふたと普段、見られない顔であせって謝り出す剣豪に。
ルフィはおかしくなってしまい、くすり、と笑ってしまう。
「ゾロ」
何か言いたいのに、出てきたのは、大好きな、無くしたくない人の名前。

その声の響きに、漸くゾロも落ち着きバツの悪そうな顔になった。
「おれも、スキ。」
そう言うと剣豪は心底うれしそうに、にやりと笑い、次いでルフィの手首を引っ張って。
自分の座るベッドに引き寄せる。
下からじっと、見上げてくるゾロに。
ルフィの胸に甘くて熱い何かが広がっていく。
今更ながらにルフィの鼓動は速く打ち始めた。

一方、ゾロは。
白いシーツをまだ、頭から被ったままだったルフィを下から見上げる形になった。
が。
くらり、と甘い眩暈を覚えてルフィから目が離せなくなった。
白いシーツの間から顔を覗かせるルフィは。
(まるで・・・)
まるで、ベールをかぶった花嫁のように・・・ゾロには見えた。

(まいったな・・・)
格好と潤んだ瞳と、月の青白い光のせいだろうか?
普段は生命力の塊のようで海賊王になるんだと豪語するルフィが。
まるで花嫁という、やさしいやさしい形をとってゾロに降伏してくるように思えた。
その薄い胸に頬をよせ、抱きしめる。

「なあ、ルフィ」

「ん?」
「キス、していいか?」
僅かな、空気の振動でルフィが頷いたのをゾロは知る。
口付ける。
これは、誓いの口付け。
軽く、触れるだけで離れて、お互い見つめあう。
ルフィが軽く瞼を閉じ、それに引き寄せられるように。
もっと欲しくなって再度口付ける。
ルフィの上唇を甘く噛むと、柔らかい唇がそっと開いた。

そこから舌を滑り込ませ、歯列を通り抜けて小さな舌にたどりつくと、奥に逃げようとするその舌を絡めとる。
上気して青白さからほのかに薄紅にかわった頬と、それに影をおとす長い睫毛。
情けないことに、初めてキスでもしたかのように、ゾロの膝はがくがくした。

唇を離して、ゾロは下から再度見上げる。
その時、ルフィは唇を閉じて、ひどく神秘的な笑みを浮かべた。
ひどく、満ち足りたような慈愛にあふれたような笑み。
もう一度。
深く口付けてゆっくりと、ゾロは身体を反転して倒し、ルフィを寝台の上に寝かせる。
右手で包むように頬にふれると、くすぐったそうにルフィは瞳を閉じた。
赤い上着のボタンに手をかけた瞬間。

きゅるるる〜・・・。
タイミングよく、船長の腹の虫が騒ぎ出した。
「・・・・」
思わず、凝視してしまったゾロに。
「はら減った!ゾロも、メシ、食いに行くぞ!」

おかげですっかり、甘いムードは吹き飛んだ。
さっきまでの儚げな印象はどこへやら。
すっかり船長はいつもの表情に戻ってしまった。
ばさりと、シーツを跳ね除けて。
するりとゾロの腕からすり抜けたルフィは、床に落ちた麦わら帽子を拾い上げてかぶり、ゾロを振り返って笑う。
すっかり、いつもの顔だった。

月の照らす白い道を。
2人は並んで宴の行われている広場目指して歩いた。
歩きながら、ルフィは、あ、と思い出したように言う。

「ゾロがさ、戦いの後でくれた、あの誓いももうれしかったんだけどさ。結局、おれにとって一番のうれしいことって、朝、ゾロを起こして一緒にめしくって、その後寝ることなんだ!」
「・・・わかんねえって。」
「うまくいえねえんだけどさ、ナミの宝箱のあれ、真珠だっけ?宝の中に長い首飾りあったよな?」
「ああ」
「あれみたいにさ、次々と、小さいけど、楽しいことを運んできてくれる日が、いちばん、うれしい!!」

言い得て、妙だ。
ゾロは、時々核心をつく船長の言い回しに妙に感心した。

ルフィは、はしゃぎながら、砂地に落ちたまるでクレバスのようにくっきりとした椰子の葉影を飛び越えて。

遠く聞こえる祭りの喧騒へと。
2人は歩いていった。


end




う、甘!ご、ごめんなさい!


5673HITを踏んでくださったPOCHI様のリクエスト・・・なのに!
どこかで繋がっているみたいな、当たり前みたいなゾロルの繋がりを感じさせるお話。というリクを全然私、クリアしてないです・・ガク。
さんざんお待たせしちゃってこれですかい(泣)。
すいません、POCHI様!
最後のほうの、くだりは赤毛の○ンからネタもらってるし・・・(ダメダメ)。
それに、POCHI様が好きなシーンはここじゃないのに!(汗)
えっと・・・フォロー(?)いたしますと、普段から、言葉にしなくてもわかっていたお互いの想いをやっとここで、ぶつけあった、と。
勿論、ずっと前から両想いだったんだけど・・・言葉にすることで、より強い繋がりを手に入れられた、と(言い訳ですね・・すいません)






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