”クラップス”


1.

「やっぱりお前だったか。」
カジノ。
いつもはひどくにぎやかなクラップスのテーブルは、とまどいを含んだざわめきで覆われていた。
クラップスのテーブル、緑色のフィールドをしきつめたその向こう。
本当は、既に予測できていたことだった。
なのに。
空気が急激に熱されたような気がしてひどく苦しい。
ゾロは、大きく深呼吸すると挑むようにテーブルの反対側についた男を見据えた。

男はゆっくりとディーラーの手から半透明の2つのダイスを選びだし、優雅とさえいえる仕草でそのダイスにキスをした。
まるでそれを見せつけるようにゾロを見るその男の目は。
確かにこれから始まる勝負への期待に光をたたえていた。
「Come Out roll!!」
カシィーン!
クラップスのテーブルの壁に投じられたダイスが跳ね返った。
勝てば自分の望むものが手に入る。
ただし負ければ・・・?

**********

人間の運命のほとんどは、どんな人間と出会うかで決まる。
カジノの眩い光とさんざめく人ごみの、その中でゾロと”彼”は出会った。
金、スリル、決まり事、嘘、欲望、洗練、人工的な美しさ、退廃を包含したカジノで。
すべては”彼”に出会うための布石だったのだろう、今思えば。
給料を受け取ったその足で新しくオープンしたという、話題のホテルを見物に来ようという気になったのも。
見物に来たカジノの前でスリにあったと、逃げていく男を指差しながらすがりついてきたその女こそがスリで、自分の財布を抜き取られていたことも。
なかば自棄でポケットの中のわずかな小銭で、目の前にあった海賊船を模したホテルのカジノで儲けようと思ったことも。

その時。
ゾロに残ったのは25ベリー銀貨1枚。
「とうとう、これ1枚か」
なかばやけっぱちになりながら、ゾロは隅に備え付けられたスロットマシンで最後の銀貨を投入しようとした。
最後の名残とばかりに、親指で、ピン、と弾いた銀貨は目測を誤って銀色の軌跡を描きながらあさっての方向へ飛んでいった。
「あ、・・・?」
反応が遅れ、軌跡を見送ったその目の前で銀貨はころころ転がり、日に焼けた手がそれを拾い上げた。
一瞬、礼を言いかけたゾロは首を傾げた。
銀貨を拾い上げた手の持ち主は、少年だった。
ストローを指したオレンジジュースを片手にもった、黒髪で痩身の。
年齢は13、4だろうか?
誰か保護者と来て保護者がゲーム夢中になっている間ぶらぶらしているのだろうか?

おそろしいほど冷房が効いているカジノの中で。
一応、格好だけはシャツを羽織ったゾロに比べてその少年は麦わら帽子に赤いシャツ、ジーンズとひどく、この場にそぐわない格好をしていた。
確かに、このカジノはドレスコードが緩そうではあったが・・・。
少年はコインの落し主を求めてきょろきょろとあたりを見渡していたが。
ゾロと目があうと。
ふかふかと赤い絨毯を踏んで近づいてきて、にかり、と笑って銀貨を差し出した。
笑うと三日月のように細くなる両の瞳と大きな口、ひどく明るくて幼い顔に。
不釣り合いな左目の下の傷が印象的だった。
ゾロが礼を言って受け取ろうとしたその時、あ、と少年は差し出しかけたコインを握りこんだ。

「?」
「なあ、よかったらおれにもそれ、やらせてくれねえか?結構これで運は強いほうなんだ。」
「なんだ?お前?」
「あ、おれはルフィ!お前は?」
「ゾロだ・・ってそういうこと聞いてんじゃねえ!・・ああ!?もうコイン投入しちまったのか!?」

するん、とゾロの脇を通り抜け、ルフィは投入口にコインを滑り込ませていた。
最後の一枚だったんだぞ?外れたら絶対かえせ!
慌ててルフィの横に追いつき、すごむように言うゾロをよそに、ひどく無造作にルフィはレバーを引く。
あ・・・と何か言いかけたゾロを見上げて、ルフィは、目を三日月型に笑ませ、ししし、と笑い声を上げた。
「な?」
カシン、カシン、カシン・・・リールが止まり、そこには3つそろったチェリーの絵があった。

マシンの横に置いてあったプラスチックのミニバケツに溢れそうなほどのコインを入れながら。
ちゅるちゅるとオレンジジュースをすするルフィを見てゾロは尋ねた。
「お前、親か何かについてんのか?」
「馬鹿にするな、ちゃんとおれはここで働いてるんだぞ!」
どうみても13、4だろ?というとルフィはえらく憤慨して17だと言った。
自分と2つしか違わないのに驚いた。
「じゃ、ゾロはいくつだ?」
「おれか?おれは19。」
「ウソだろ!?もっと年くってるように見えるぞ!」
「おい」
ウソだ、絶対見えねぇって!げらげら笑いながらルフィが言う。
不機嫌な顔をすると、大抵の人間がたじろぐゾロの眼光にも。
ルフィはまったく怖気づくことなく。
スロットで大分儲かったからそれを元手にもっといろんなゲームをしよう、とルフィはゾロを誘った。
大丈夫、こう見えてもここのゲームのルールは知ってるから。
出会ったばかりの人間なのに、何故か警戒する気持ちがまったくゾロには起きなかった。
カタン、と手近なテーブルに飲み終わったジュースのグラスを置き、ルフィはゾロの手を引っ張った。
その言葉通り、ルフィは迷うことなくあちこちゾロを連れまわしてはゲームを楽しみ、その度事に手持ちのコインは倍以上になっていった。
ブラックジャックやバカラなど難しそうなカードゲームにはゾロもお手上げだったが、数字を当てれば勝てるキノとルーレットだけは好成績を叩き出した。

「へえ。ゾロも結構運つよいなあ。というかカンとかがいいのか?」
ルーレットで5回連続で当たりを出した時、感心したようにルフィは言った。
「ルーレットもイカサマなしでいいけどどうせならもっと儲かるゲームにしよう!」
ルフィはゾロの手をぐいぐい引っ張ってクラップステーブルまで連れてきた。

クラップスと呼ばれるゲームにゾロは馴染みがなかった。
簡単だぞ?とルフィが説明をする。
2個のダイスの目の合計を競うゲームで誰でも参加できるんだ。
クラップスのテーブルで、1から12のフィールドの賭ける数のところにコインを置く。
ダイスを投げる役がまわってくることもある。
ただし7が出たらゲーム終了。他にもいろいろあるけど、これだけわかってれば遊べるな。OK?

ルフィが説明しているうちに。
周囲からため息が流れてきた。
どうやら、1ゲーム終了したらしい。

「説明よりやったほうが早いな。」
ルフィはゾロを従え、空いた場所に潜り込んだ。
そして。
いきなりシューター(ダイスをなげる人)の役がゾロにまわってきた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。このゲームには初めて参加するんだ」
「大丈夫。おれがいるし。」
運の良さは実証済みだろう?
それについてはゾロも異存はなかった。
さ、ダイスを選べ。んで、それをテーブルの向こう目掛けて投げるんだ。OK?
「ああ。幸運の天使サマを信じるか。」
すっかり腹の据わったゾロが不敵な笑みを浮かべると。
お、調子でてきたみたいじゃん?とルフィが笑いかけてきた。
この短時間で、ルフィといると次々いろんなことが起こるのにゾロはすっかり慣れていた。
そしてそんな自分に驚いてもいた。
「テンシなんてガラじゃねえけどなあ。ところでゾロ、好きな数字は?」
「5」
適当にぱっとフィールドで目に付いた数字を言っただけだったのに。
「5か、悪くねえな。じゃ、そこに賭けよう」
「おい」
とりあえず、ディーラーの手からダイスを選び出し、投げようとしたその手をやんわりとルフィはとると。
「おまじない。」
チュ、っと音をたててゾロのシュートするダイスにルフィはキスをした。
気持ち、ルフィの温かな唇がゾロの指先にふれて。
ひどく狼狽しながらゾロはダイスを放った。

カシィーン・・・。
固唾をのんで見守っていた人間たちの前で、ダイスは1と4の目をはじき出した。
わっ・・・!!
同じ目にかけていた人間が興奮の叫びをあげ。
隣にいた中年男性が両手を上にかざしてきたのでゾロもそれにあわせて胸の前あたりに両手を翳すと。
ぱあん、と小気味いい音でハイタッチされた。
もしかして、生れて初めてハイタッチなんてしたかもしれない。
まじまじと自分の手を見てゾロは思った。
ルフィはといえば、そこにいるのが当たり前のように、ハイタッチをかわし、笑っている。

「そろそろ、仕上げかな・・・。」
既にゾロが真面目に働いて10年かかっても稼げないような金額に膨れ上がっていた。
ようやくシューターを外れ、次は隣の中年男性がシューターとなる番だった。
しばし、考え込むような顔をするとルフィはパスラインにかけよう、とこれまでの儲けのすべてをパスラインにおいた。
パスラインに賭けて7か11が出た場合は賭けた2倍の額が戻ってくる。
負ければアウトだ。
大丈夫か?とはらはらするゾロと対照的にルフィはにしし、と笑ってみせた。
ひどく自信ありげな笑い方だった。
「ゾロ、7の目が出る確率はどれくらいだと思う?」
「・・・6通りか?」
数のパターンを検索するゾロにルフィはうなずいた。
「そういうこと。7の出る確率が一番高いんだ。このゲームは、ルールを知ってる人間とカジノが儲かるようにできてる」
「ま、もともとお前のおかげで稼げたんだしな。楽しかったしこれでダメでも文句はなしだ。」
「大丈夫!勝てるから信じろって。」
「ああ。」
ルフィといると。
昨日までまったく知らなかった世界が開けてくる。
どきどきする。
楽しい。
酷く高揚した気分になって忘れていた何かを思い出す。
ゾロはそう感じた。

「7!」
わあっと歓声があがる。
いったい、金額はどれだけになったのか。給料の何倍だ?
ゾロは軽い眩暈を覚えた。

軽いざわめきがおこったのでそちらを見ると。
背の高い、白い肌に映える黒いスーツを隙なく着こなした女がバカラのカウンターを曲がって近づいてくるのが見えた。
ここの副支配人だ。
同じクラップスのテーブルにいた人間が教えてくれた。

「あ、やべえ!」
「ルフィ?!」
急にルフィがそわそわと落ち着かなくなり。
ルフィは身を翻して女が来る反対側の厨房に飛び込んだ。
そうしている間にも副支配人はゾロのすぐ側までくると、婉然と微笑んだ。

「お客様。・・・よろしければあちらにお食事と飲み物をご用意してございます。それからもしよろしければですが本日、スウィートにお部屋をご用意いたしましたが・・・?」
さすがにゾロも引き時と思った。
スウィート宿泊への誘いは断り、受け取る金額は今日なくした給与の分、それに加えて給与と同じだけの額をもらえればいい、あと連れが1人いるから欲しいだけとらせてやってくれ、と言った。
どうせ半分はルフィのおかげなのだから。
そう言うと、副支配人は恭しく、お客様のお望みのままに、と言った。
おかしな男。
そう言いた気に。
白く彫刻めいた顔立ちの中で黒い目が笑っていた。

「・・・行ったか?あいつ?」
ようやくルフィが戻ってきた。
どうも苦手なんだよなあ、あいつ。
おれなんかが、こんなとこうろうろすんな、って言うし。
「お前、あの厨房で働いてるのか?」
「んん、まあ、そんなとこだ。見習だし。しょっちゅう皆から半人前だのガキだのって言われるしな。」

「おい、ルフィ!」
厨房から呼ぶ声がするので目をむけると金髪碧眼の男がルフィを呼んでいる。
「なんだ?サンジ?」
すたすたとルフィが近寄っていく。
サンジと呼ばれた男はゾロと目が合うと、これ見よがしに唇の端をつりあげて笑みを浮かべ、ルフィの耳元に何か囁いた。
ふんふん、とルフィは頷き一言二言返すと、じゃあな、と挨拶をしてまたゾロの側に戻ってきた。
何故だろう?ゾロはひどく胃のあたりが嫌な気持ちになった。

「お待たせ。サンジに後のことは頼んできた・・・ところで今、何時だ?ゾロ?」
「ん?21時ちょいすぎくらいだ」
「いけねえ!始まっちまう!」
「何がだ?」
「いいから!」

2.へ



参考文献:『PetShop of Horrors』2巻、『地球の歩き方リゾート ラスベガス編』、映画『幸福の条件』

実は2度目にアップした時あちこちに修正入れました。





男部屋へ戻る